『人』というブランドを輝かせるために!大好きだった会社を私が辞めて起業したワケ 村本彩さん

初めまして!オリビアです。あなたは今の仕事が好きですか?仕事をしながらの子どもとの関わりに満足していますか?育休から元の職場に戻って、または独立して、子どもを育てながらキャリアをどう作っていくか、【Molecule(マレキュール)】世代共通の悩みだと思います。

今回ご紹介するブランドプロデューサー村本彩さんは、サントリーで新商品を生み出す仕事をしていました。ところが、育休中のモヤモヤに真正面から向き合った結果、復帰後わずか1年で独立。

村本さんは、自分の気持ちにどう向き合い、大好きだった会社を辞め起業に至ったのか。その葛藤と行動力に迫ります。

村本彩(むらもと あや)さん| 福岡県出身。大学卒業後、サントリーホールディングス(株)に入社。ブランドマネージャーとして、10年間で100以上の商品を開発。二度目の出産・育休モヤモヤをきっかけに独立。「『人』というブランドを輝かせる仕事がしたい!」と、個人でブランディングを中心としたコンサルティングを行う。会社を辞めた理由を綴ったブログを公開し、雑誌「VERY」2019年1月号「私たち、リーマムやめました!」特集にも登場。常に自然体でありながら、人の気持ちにより添う生き方・働き方をしている。

「人が好き」、「おもしろい物を届けたい」という真っすぐな思い

-現在のブランドプロデューサーという仕事について教えてください

はい。個人起業家さんや法人向けにブランディングを行っています。「自然体で“選らばれる人”を創る」をコンセプトに、一般の人にもわかるようにクライアントさんのサービスの価値をしっかり届けるのが、仕事です。せっかく良いサービスを提供しているのに、ちょっとした「ボタンの掛け違い」でうまくいかない困り事を解決する面白味があります。

会社員時代はブランドマネージャーという立場で、モノを対象にしていました。今は、個人の方のサービスが対象で、その方自身の人生を変えるようなものなんです。責任も重いけれど、人生そのものを花開かせるのが楽しいです。

-人の人生に関わるお仕事なのですね。ご自身はどんな人生を歩まれてきたのでしょうか?

小学校までは転勤族で2、3年おきに転校していました。でも人が好きで、新しい環境にもすぐ溶け込める子どもでした。離れても縁はつながっていくことをその時期から、自然と学んでいたと思います。その後、中高一貫校に通い、6年間同じ仲間と深く関われる環境が、ものすごく嬉しかったです。

母は専業主婦でしたが、「あなたの時代は、仕事しながら子育てする時代」とよく言っていて、そこから「働くお母さん」像が出来上がったと思います。

大学時代は自由を謳歌しました(笑)テレビ東京・WBSの「トレンドたまご」が大好きで、「おもしろい新商品を世の中に届けたい」とアナウンサーを目指すようになります。でも全国区のテレビ局の最終面接で落ちてしまって・・・悔しさから「取材される商品を作ろう!」とメーカー志望に切り替え、エンジニア中心ではなく文系でも活躍できる会社を探しました。

サントリーは、コンセプトやデザインを重視していたのと、「やってみなはれ」の社風がピンときて一次面接で「ここに行く!」と感じました。

夢を叶えたけれど、理想とは違う現実。育休モヤモヤの先に見えた本当に自分が望んでいたもの。

-軌道修正されて、サントリーに無事入社。その後どうやって、新商品を世に届ける夢を叶えられたんですか?

入社後は営業になりましたが商品企画をするため、とにかく早く実績を作り、マーケティング部の方にもアピールして、手を尽くしました。入社4年目、しかも営業からの転属という超異例ではあったものの、言い続ける熱意が伝わりブランドマネージャーに。

キャリアを会社に委ねるのではなく、意思表示する大切さを、身をもって経験しました。その後、結婚し一人目を出産。育休モヤモヤは全くなく、復帰して「働くお母さん」像を実現する意欲で溢れていました。

そして復帰と同時に、夢だった「新ブランド立ち上げ」を任せられたんです。相当な意気込みだったものの、結果は出ず数ヶ月で終売に・・・ものすごい喪失感でした。その後、二人目を授かり、「次の育休は自分を成長させたい」と気持ちだけが先走っていました。

子どもは二人と決めていたので、最後の育休という思いも強かったです。とは言え、いざ子どもが生まれると想像以上に大変な日々!育休終了は見えているのに、時間だけが経つ焦りでいっぱいでした。

生い立ちから現在までをじっくり振り返る村本さん。立ち上げた新商品の終売という厳しい現実。自分には足りないものがあると確信し、「今度の復帰は、他の部署で会社をみたい。」と伝え産休に入ったと言います。

-確かに子どもが二人になると状況ががらりと変わりますよね。そんな復帰直前の焦りから、どのようにして起業を決意するに至ったのでしょうか?

復帰が来春に迫った年明け、この三ヶ月しか自分の人生に許された時間はない、とにかく何かやってみるしかない、と開き直りました。

そして、キッズラインの育休インターンに応募してみました。現場に行くと、価値観をひっくり返されることの連続で目から鱗でした。「10年以上も同じ会社にいるなんてすごい!」と言われ、復帰するだけが選択肢じゃないと思えて。転職も考えましたが、やっぱりサントリーでの仕事は好きだったし、9~17時勤務なら、転職は解決策にならない。

でも一方で、子ども二人を預けて働くなら心からやりたい仕事をしたいし、自分で時間をコントロールして働けるなら、やってみたくなって。初めは、会社を辞めるつもりもなかったし、むしろそのままでも幸せなのは見えていた。でもパンドラの箱を開けたように、引き返せなくなって。会社を辞めて失敗するリスクよりも、挑戦しない後悔の方が自分の中で大きかったんです。

-自分の気持ちに逃げずに、正面から向き合ったのですね。そしてパンドラの箱を開けてしまった(笑)その思いをどう行動に移したのですか?

「1年で会社を辞める」と決めて、仕事と起業塾の両輪で自分の気持ちを試しました。初めは、働く女性を応援するキャリコンサルをやるつもりでした。モニタリングである程度の結果も出たけれど、どこか物足りない・・・。

その時、起業塾の仲間から、「ブランディングについて教えてほしい。」と声が掛りました。人に教えるために何を、どう伝えるか考えたのが、今の仕事の原型になりました。

感覚的にやってきた仕事を人に伝えるのはすごく難しかったけれど、こんなに喜んでもらえるんだと実感しました。資料を作っている時もすごく楽しくて、その感覚がキャリアコーチよりも大きかったんです。

今の仕事の原型となる「ブランディング講座」をした際の様子。心の底から楽しい経験だったことが、最高の笑顔からも伝わってきます。「会社の中では気づかなかったり、まだまだだと思っていたスキルが違う畑では価値になるんだと気付かされた」んだとか。

そこからは、会社での仕事の棚卸と、「マーケティング」の経験を「“人”のブランディング」にどう応用するかを考え、テストマーケティングをしました。自分のノウハウが、誰のどんなお困り事に役立てるのか?徹底的にマーケティング思考を働かせました。

もちろん初めは、起業することへの怖さもありました。でも一年かけて学ぶうちに、なんとなく道が見えて、やっていけば結果がでるのもわかって。漠然とした不安や怖さの解像度を上げていくと、想像していたバケモノではなくて、勝手に自分が不安にしてただけだと気付きました。

-なるほど、不安と葛藤しながらも、やってみての繰り返しで今の仕事にたどり着いたのですね。すごい行動力ですね!退職されてからの毎日はどうでしたか?

「自分の存在を知ってもらわないと何も始まらない」、と思いブログを書き始めました。でも最初は、会社の人含めどう思われるか反応が気になって。ひとつの記事を書くのに時間もかかったけれど、やっていくうちに不安も段々と溶けました。

辞めた理由をブログで発信して、Facebookでシェアしたら共感や応援のコメントがくるようになって。自分の行動を肯定してもらえたことで、発信に対するブロックがなくなりました。

次にメルマガを始めると、一週間で100人登録が。そこから体験コンサルティングの申込みにつながり、仕事が回り始めました。

-起業前後で、自分や家族に変化はありましたか?

自分のことで言うと、仕事自体は会社にいた時も大好きだったし、今の仕事も本当に好きです。でももし、そのまま会社にいたら、「自分はこんなもんだろう」と閉塞感というか、意図せず守りに入っていたと思います。

自分の可能性はまだまだこれからだと思うし、子どもたちにもそんなママの背中を見せたいです。そして、基本的なところは変わらない、変わる物でもないと思う。起業すれば不満が解決する訳じゃなくて、仕事の形が変わっただけなんです。環境を変えなくても、行動を変えてできることはあるから、結局は自分の意思だと思います。今後また会社に入ることもありだと思っています。

小1・2歳のお子さんたちと。甘えん坊なお姉ちゃんと、ザ・マイペースな弟のデコボココンビなんだとか。双子みたいにそっくりな姉弟なのにこんなに個性も魅力も違うの?!という実感が、『人』というブランドを扱うきっかけに。

家族は、良い方向に向かっていると思います。起業塾が週末にかかり、家族に負担をかけた時もありました。でも、なんで自分は起業するのか?子どもに我慢をさせたり、自分がきつかったり目先の言い訳が出てきた時に、「“なんで”を忘れない」ことが大事だと思います。

小学生の娘は、私が家で仕事する時に、学童じゃなく真っ直ぐ帰れることを喜んでいます。娘が小学生になった時、家で迎えられることも起業を決めた一つの理由でした。彼女は家族大好き人間で、「土日が一番好き!」と言います。土日に仕事が入ると、「どうして?」と言われて困るのですが(汗)

子どもに対しては、とにかく愛情表現とスキンシップを大事にしています。「生まれてきてくれてありがとう!」と毎日言うし、愛されている感覚がちゃんと子どもたちの中にはあるんだと思います。

さらに目指すところへ、自然体で走り続ける

「せっかく思いをもって会社を辞めたのに、一人でできることの限界がきて。これからは桃太郎みたいなイメージで仲間を増やしたいと思っています。鬼退治する訳じゃないんですけど(笑)」と爽やかな表情で、今後を語りました。

-起業されて二年目。今後の夢、ブランディングの可能性について教えてください。

この夏、法人化をします。この一年、自分では一歩一歩 全力でやってきて、個人でやれる喜びも感じました。でも同時に個人の限界を感じ始めていて。二年目になって、目の前のことを一人で頑張るフェーズから、やり方を変えてチームでやっていくフェーズが来たんだと思います。

モノもサービスも溢れてる時代だから、これからもっとブランディングの需要があると思います。サントリーのように、マーケティングが確立されている会社は意外と少ないので、自分が活躍できる可能性を感じています。

それとブランディングは、「価値を見つめ直すこと」なので、高校生や大学生が社会に出る時に、役立てないかなとも思っています。キャリア形成にも生きるから。ブランディングは人生にも役立つことを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいです。

編集後記

「自然体」を大事にして、自分も無理をしない。そして家族や人との関係性にもマーケティング思考を(無意識のうちに!)働かせて、「ボタンの掛け違い」を自分なりに直していく。失敗すらも成功の種に変えてしまう。そんな根っからの芯の強さを感じました。それでいてお会いすると、本当にチャーミングで、よく笑う村本さん。大好きなことを追究しているからこそ表情が生き生きしていました。

「今いる環境でも自分次第で変えられる」というメッセージは、私たち【Molecule(マレキュール)】世代に今日からでも活かせそうですね。自分の気持ちに逃げずに正面から向き合い、先ずはやってみる。「変化の積み重ね」が、1年後の自分を作ると、改めて思いました。