35歳でMBA入学 通訳案内士を経て産前・産後ケアビジネスの起業へ | 有馬裕乃さん

MBAでビジネスデザインを学び、産前・産後ケアビジネスの起業準備を進める有馬裕乃さん(以下、裕乃さん)。

裕乃さんの前職は、フリーランスの通訳案内士(通訳ガイド)だった。欧米圏からの観光客と一緒に、2〜3週間かけて日本各地を周りながら、日本の歴史や文化、現代社会などを紹介していた。自身も47都道府県すべて訪れたほどの旅好きであり、ガイドの仕事は楽しく、やり甲斐を感じていた。

年の3分の2はツアーで飛びまわるほど、インバウンドの最前線で活躍していた裕乃さん。なぜこのコロナ禍で大きく方向転換し、「すべてのママパパが『子育てが楽しい』と思える社会」の実現を目指し、起業準備に邁進する日々を送ることになったのか。

裕乃さんに、その理由を伺ってきた。

留学時代の友人たちに日本を案内するうちに、通訳案内士の仕事を目指すように

留学時代、会長を務めた留学生組織の主要メンバーと。両脇の女性ふたりはいまも付き合いが続く大事な存在

「裕乃に日本を案内してもらえて、すごく楽しかった。説明も上手だから、旅する前よりずっと深く日本を知ることができた。こういうこと、向いているんじゃない?仕事にしたら?」

裕乃さんが通訳案内士の仕事を始めたのは、友人たちのそんな言葉がきっかけだった。

裕乃さんは大学進学を機に渡米し、カルフォルニアで学生時代を過ごした。学業はもちろんのこと、留学生組織の会長職に加え、大学運営に関わる生徒会メンバーとしての活動にも力を入れていた。充実した留学生活だった。

卒業後は帰国し、銀座にある医療クリニックで通訳などの仕事を始めた。すると、学生時代の友人たちが日本を訪れるたびに連絡がきて、東京を案内したり、ときには地方に一緒に旅行をするようになった。

「わたし自身も旅が大好きだし、アメリカの友人たちの案内役をするのはとても楽しかったです。みんなが喜んでくれるのも、すごく嬉しくて」

「『仕事にしたら?』と言われ、そんなことできるのかな?と調べてみると、通訳案内士という国家資格があることを知りました。こんなに楽しいことを仕事にできたらと、資格取得を目指すことを決めました」

フルタイムで医療クリニックでの仕事をしながら、朝晩は自宅や勤務先近くのカフェに通い詰め、試験勉強をする日々が始まった。必死の勉強が功を奏し、2年目で試験に合格。通訳案内士としてのキャリアをスタートさせた。裕乃さんが33歳のときだった。

通訳案内士としてガイドを務めた、はじめてのロングツアーでの一枚。お客さんたちが夜な夜な練習を重ねた、オリジナルの1曲。最終日の夜にサプライズでプレゼントされ、感激のあまり涙してしまったそう

アメリカやカナダの旅行会社と契約し、欧米圏からの観光客と一緒に、2〜3週間かけて日本各地を周った。仕事は楽しく、お客さんたちからの評価も高かったが、経験を積むにつれ、気になることがでてきた。

「どうしてわざわざ激混みの観光地にお客さんを連れていって、窮屈な思いをさせなくちゃいけないんだろう」

全然知られていなくても魅力的な地方が、日本には沢山ある。そういう地方と海外からのお客さんをつなげられないか」

「海外のお客さんと訪れる土地のひとたちがもっと親しく交流できたら、双方にとって楽しく学びあえる時間をつくれるんじゃないか」

生じた疑問や課題を解決できるようなツアーを作ってみたい。自分でインバウンドビジネスを立ち上げたい。そんな想いが強まり、起業や経営を学ぶためにMBA入学を目指し、準備を始めた。

35歳でMBA入学 妊娠・出産・コロナ禍 意識の変化

裕乃さんは前列右から3番目。安部哲也教授ゼミメンバーとの一枚。

2019年4月、裕乃さんは立教大学大学院ビジネスデザイン研究科に入学した。

社会人向け大学院ということもあり、共に学ぶ仲間たちの年齢層は20〜60代と幅広く、バックグラウンドも様々だった。大手企業の執行役員を務めていたり、すでに起業をして事業を展開していたり、親子で同じキャンパスで学んでいたり(娘さんは学部生)。授業やゼミはもちろん、同級生からも学ぶことの多い、刺激的な環境だった。

入学して数ヶ月後、妊娠がわかった。夫婦共に望んでいたことで、嬉しかった。お腹が膨らむにつれ重い荷物が負担になり、リュックをやめて、キャリーバックにテキストや書籍をつめて通学した。つわりがひどいときはベッドに寝転びながら課題をこなした。授業は一度も休まなかった。

学業に支障をきたさないよう努力しながらも、予定日が近づくにつれ、出産への不安が段々大きくなっていくのを感じていた。

産後、育児で頼りにできるのは夫しかいなかったが、職場の都合で育児休暇取得は望めそうになかった。都内に住む実母は高齢なうえに持病を抱えており、ヘルプを求めるのは最小限にとどめる必要があった。

「本来なら、出産は母親にとって最高に嬉しい体験になるはずだと思うんです。10ヶ月もの間お腹で育ててきた赤ちゃんに、やっと会える瞬間なのだから。でも、わたしには不安しかありませんでした。周囲に頼れる先もなく、心配で仕方なかった」

「公的・民間のサポートを調べましたが、事前申請と審査が必要だったり、高額だったり。日本だと出産前後に実家に里帰りするのが一般的だからなのでしょうか。身内の協力を得られない家庭への産後ケアの仕組みがかなり限定的であることを、当事者になってはじめて知りました」

2020年1月、第一子となる娘を出産。産院の談話室で深夜まで課題をこなし、1週間後にあった授業にも出席した。

その頃、中国の武漢でコロナウイルス感染が広がり、2月下旬以降には日本でも警戒態勢に入った。院の授業やゼミはすべてオンラインに移行し、夫も在宅勤務に切り替わった。

「コロナ禍で強いられた変化は、娘の育児という面ではたすかることも多々ありました。でも、感染リスクを考えると母に頼ることは余計難しくなったし、この状況下で周囲にサポートを求めることがますます困難になった家庭も沢山あるんじゃないかと思いました」

「はじめての出産・育児はわからないことだらけで、誰もが不安で一杯なはず。あらかじめ準備を整えるにも限界があるし、ましてや、コロナ禍のような想定外の事態に備えることは不可能ですよね」

新しく赤ちゃんを迎えたばかりの家庭が、必要なときにすぐ適正な価格で受けられるサポートがもっと用意されているべきではないか。ビジネスを立ち上げるなら、より切実に当事者意識を重ねられるサービスがいいのではないか。

そう考え、入学当初の計画を変更し、産後ケア分野での起業を志すことにした。

起業へ 「すべてのママパパが『子育てが楽しい』と思える社会の実現を目指して」

1歳の娘さんと。出産後すぐにコロナ禍が始まり、院のゼミやクラスはすべてオンラインになり、パートナーも在宅勤務に。期せずして、夫婦ふたりで育児に向き合う時間を持てた。

無事、この春のMBA卒業が決まった裕乃さん。いまは夏のサービスリリースを目標に起業準備に邁進中だ。

当初は産後ケア中心に考えていたが、現段階では新米ママ・パパたちへの産前・産後の総合的なサポートを提供するサービスを想定している。着想は自身の経験から始まったが、当事者たちがどのようなサポートを求めているかをより具体的に理解するため、4,500余名へのアンケートを実施し、30名(日本在住の外国人含む)への聴き取り調査も行った。

質の高いサービスを提供するため、関連分野の事業を営む企業や、看護師・助産師・保育士・栄養士・理学療法士といった専門家たちとの協力体制を整える予定で、すでに提携の合意をしている先も多い。

産後の母子が心身ともに休める環境を提供するため、民泊ネットワークの活用を検討しており、民泊観光協会とも話を進めている。裕乃さんもトライアルで子育て家庭へのステイを経験したが、心身ともにリラックスできるいい時間を過ごせた。感染リスク対策などコロナ禍での課題を解決する必要はあるものの、導入につなげたいと意欲的だ。

MBA入学後の2年間、学業はもちろん、院の内外でのさまざまな活動にも積極的に取り組んできた。ゼミ長やTAを務めたり、教授の事業に関わる機会も得た。昨年夏は外部の起業プログラムに参加し、エレベーターピッチを初体験。異なる角度でのフィードバックを受け、ビジネスプランをブラッシュアップすることができた。

裕乃さんに起業を通して実現したいことを聞くと、こういう答えが返ってきた。

「すべてのママ・パパたちが『子育ては楽しい』と思える社会だといいな、と思っています。その社会を実現するために、自分ができることをひとつずつやっていきたい」

「ママ・パパたちのサポートという形で社会に貢献したいというのが、まず一番にあります。そのうえで、提携先や従業員の方、業者さんなど、事業に関わるすべてのひとたちを幸せにできるような、いい関わり方ができる経営者を目指していきたいですね」

編集後記

歌舞伎の子役時代の裕乃さん。左上は歌舞伎役者の故・坂田藤十郎(4代目、撮影当時は襲名前で中村雁治郎)さんと。右上の2枚は日本舞踊の師範である裕乃さんの母親の舞姿。

本文中では触れなかったが、ここでぜひ紹介しておきたいエピソードがふたつある。

ひとつめは、裕乃さんの小学校時代のこと。取材を通して、裕乃さんが常に目の前のことに全力で取り組んできたことが伝わり、そのパワフルさと情熱に圧倒された。なぜそんなにいつもがんばりつづけられるかを聞くと、こう答えが返ってきた。

「もしかしたら、歌舞伎の子役時代に鍛えられたのかもしれません」

裕乃さんの母親は日本舞踊の師範。裕乃さん自身も2歳から日本舞踊を習い始め、縁があって、子役として歌舞伎の舞台に立つことになった。ときには緊張のあまりひきつけを起こしたり、食事が喉を通らないこともあったが、小学校卒業まで4年間続けた。伝統芸能を支える一流のプロたちに囲まれ、礼儀作法と舞台との向き合い方を叩き込まれたという。

歌舞伎の子役時代の経験は、裕乃さんのいまの土台になっているように感じた。

もうひとつは、裕乃さんがアメリカからの帰国を決断した経緯についてだ。裕乃さんは大学卒業後もアメリカに残り、その先の人生を歩んでいくつもりだった。ところが、卒業目前に日本から届いた知らせにより、急遽帰国することを決めた。

父親が危篤だという。

可能な限り早い便をとったが、父親の最期には間に合わなかった。ほどなくして祖父が入院し、病院で亡くなる。すると今度は祖母が倒れ、9ヶ月にわたる自宅での介護生活の後、亡くなった。当初はアメリカに戻るつもりだった。だが、一人っ子の裕乃さんは、母がいる日本で生きていくことを選んだ。

「一時期はアメリカが遠ざかることに身を切られるような想いでしたが、帰国から10数年が経ついま振り返ると、あのときその決断をしてよかったと心から思えるようになりました」

人生で、幾度となく繰り返していく選択。自分ひとりで決められることもあれば、家族やその他の事情を踏まえて、選ぶこともある。

そのひとつひとつが正しかったかどうかというよりも、その選択が最良のものとなるよう、その後どういう行動をとっていくかが大事なのではないか。あらためて裕乃さんにそう教えてもらった。

 

有馬裕乃(ありま ひろの)さんのTwitter

編集後記で紹介したエピソードを、より詳しくつづった文章をリンク先に載せてあります。併せてお読みいただけると嬉しいです。

35歳でMBA入学 有馬裕乃さんが通訳案内士を経て、産前・産後ケアビジネスの起業を志すようになるまで