人生も暮らしも出会いのストックが変えていく(前編) ~渡米移住を目前にして~

「面白法人カヤック」で約10年、PRを手がけ会社の成長を支えた松原佳代さん。第一子の出産後には、仕事と暮らし、子育てをミックスした働き方を実現すべく独立し起業。その後、カヤックLivingの経営者となり、移住においてのハードルの一つである「人との繋がり」をサポートする事業を立ち上げた。

今年の8月には松原さん自身も、慣れ親しんだ鎌倉の地から米国ポートランドに移住。今後は、リモートでカヤックLivingの経営を続けながら、米国での新しい暮らしにチャレンジするという。

「私の人生は人との出会いの蓄積から、流れるようにできている」という松原さん。自分の気持ちに正直な生き方は【Molecule(マレキュール)】読者の皆さんにも、参考なるのではないだろうか。そんな松原さんに、移住直前の7月にお話をお伺いした。

松原佳代さん。「面白法人カヤック」(所在地:鎌倉)でPR担当として会社の成長を支えたのち、出産を期に独立。現在は(株)カヤックLiving兼 みずたまラボラトリー(株)代表取締役。移住スカウトサービス「SMOUT」を2018年に立ち上げた。2019年8月に、米国ポートランドに夫と子どもたちと一緒に移住。

出産後も、思いっきり働きたくて起業

――米国ポートランドへ8月に移住し、経営のお仕事もリモートで続けられるとお聞きしました。移住への気持ちはいつから?

移住をしたいという気持ちは、約6年前の第一子の妊娠中からありました。その頃は、面白法人カヤックというベンチャー企業でPRを担当していました。

会社は広告キャンペーンなど、人に伝搬し人を動かす事業を展開していて。日本国内の人は気持ちやカルチャーが分かるので伝わるものを作ることができる。でもそれでは日本人口止まり。世界の人を動かすコンテンツを作りたいと思った時に、カルチャーがわからないので作れない。

そんな頭打ち感もあり、海外に行っても、コミュニケーションが取れようになりたい、という気持ちがありました。

また子どもができ、子どもには色んな多様性に触れる環境を与えたいと思うようになりました。それに私も行きたい!だったら家族で行こう!と思ったのです。

けれど、出産は日本でしたいと思い、すぐに移住には至りませんでした。出産後も育児と仕事に忙しくしていましたが、周りには移住をしたいと発信し続けていました。

――そして、第一子を出産されました。出産後はどんな働き方が理想でしたか?

出産後の女性に対して、一般的にはフレックスタイムとか時短という制度がありますよね。そうはいってもコアタイムがあり、続けて何時間か働かなければなりません。

でも、子どもがいたらすべてのことが細切れになります。育児都合にあわせた間の時間を使って、いかに自分のことをするかっていう生活スタイルになる。

出産前は暮らしと仕事が、分かれてバランスをとっていたけど、完全にミックスというか。暮らしの中に仕事が入り込んでくる。

私は出産後も8時間働こうとおもえば、働けると思っていて。ですが、仕事の中に暮らしが入り込むようにミックスしていかないと、出産後から小学校3・4年まで、10年ぐらいは思いっきり働けないんじゃないか?と思ったのです。

私は、すごく働きたかった。だから24時間で考えて、その中で仕事と暮らし、子育てを混ぜ込んだ生活をしようと思いました。それは今ある会社の仕組みでは実現できないなと思い、独立を決めました。一人目を産み、会社復帰し、しばらく働いた後のことです。

――どのような会社をつくられたのですか?

「みずたまラボラトリー」というPR会社を作りました。個人法人問わず「PRを広める」「経営にPRをインストールする」をミッションに掲げて、会社を作りました。会社であってもやはり一人では生きていけない。つながる皆さんと色んな関係性を作り出して、その中で成長し発展していくものだと仮定したときに、そこの要となるのはPRのポジションの人であり、PRという考え方だと思っています。

経営者自身がパブリックリレーションズをしっかり理解して、経営の中に取り込んでいくというのは、とても大事だと思っています。

――その後、カヤックLiving の代表取締役にもなられた?

2人目を出産した後は、ほとんど休まずに仕事に復帰したんです。クライアントさん達から、「打ち合わせはオンラインで良いよ」と言ってもらい、じゃあオンラインでやりますと。

産後2カ月から保育園に預けました。上の子と同じ保育園が、2か月から預かってくれる保育園で母乳も預かってくれると。こんな環境が整っている所が、目の前にあるなら「これは預けるべきだ!」と思い、流れにのりましたね。

半年ぐらいはゆるっと働いていて、そろそろ真剣に社員を増やすか、大好きな鎌倉のPRをしたいなとか周りに相談していたら、もとの会社の代表から「面白い仕事があるよ」と言われ、呼び戻されました。笑 そして「カヤックLiving」という子会社の経営を任されることになったんです。

「経営にPRをインストールする」をミッションにしていましたが、私自身は経営者になったことがなく、経営にも興味がありました。

――まもなく創業2年目になる「カヤックLiving」。そのサービスについてお聞かせください。

カヤックLivingの事業としては、もともと移住と地域をテーマにしようと決まっていました。では事業として何をマッチングするかと考えたときに「人の繋がり」にしようと思いました。移住にはハードルが3つあると言われていて、まず仕事の問題、次に地方の場合は住まいをどう見つけるかという問題、そしてもう一つが「人との繋がり」です。そのどこを解除したら、一番ハードルが下がるかなと考えたときに、「人との繋がり」だなと思ったんです。

それは移住をしたかった私の実体験からなんです。私の仕事のパートナーが神楽坂から八ヶ岳にある日、突然移住したんですよ。子どもを連れて、5年ぐらい前に。

その彼女が、3家族、知り合いができたら、移住しようと決めていたというのです。3家族あると、それはただの知り合いではなくて、コミュニティなんですよね。その言葉が印象に残っていました。

そこで私自身も移住しようと思ったときに、まずその土地に知り合いを見つけるのを一番最初にしたんです。

だから、そのハードルの解除からはじめようと思いました。地域にいる人とこっちにいる人のお互いのスキルマッチング。こういう人が欲しいというのと、こういう人です、っていうのをマッチングしていく事業にしようと決めました。

スキルは仕事の場合もありますが、地域の場合は仕事にならないものがいっぱいあります。例えば、神輿の担ぎとか、餅つきの人とか、一緒にやってくれる人いませんか?とか。地域と人との出会いの場にしようと思いました。

仕事もその人から教えてもらえるだろうし、その地域に思い出せる人がいるかどうかは大事です。

一気にすすんだ、米国ポートランドへの移住計画

ウィラメット川を見下ろす、オレゴン州ポートランド

私自身も移住をしたかったんですけど、子育てが忙しくて、最初はなかなか進みませんでした。上の子が小学生になるタイミングを狙おうということで、それに向けて動きました。
わが家の場合、駐在という選択肢は無いので、ビザをとろうとなりました。夫がアメリカで出していたダイバーシティビザが当たり、一気に移住に向けて話が進んでいきました。

――ポートランドに知り合いはいたのでしょうか?

もともとはいませんでした。ポートランドを候補地としたときに、以前から移住したいと伝えていた周りの人に、ポートランドに知り合いいませんか?と相談しました。ポートランドは街づくりやライフスタイルで注目を集める街だったこともあり、ライフスタイル系事業とPRという私の職業との親和性が高く、すぐ近くにポートランドに詳しい人が何人も見つかりました。そして何人か現地に住む日本人の方を紹介してもらい、実際に現地でお会いして話を伺いながら、暮らしのイメージをつくることができました。

でも私はラッキーだったなと思っています。知り合いをつてに、知りたいことに運よく繋がれた。しかも皆さん良い人で、本当に感謝しかないんですけど。

だから、移住したい誰でもが自分の生きたい地域に知り合いを見つけられたらいいのにって思ったんです。

実は2017年の9月にカヤックLivingに就任した、ちょうどその月にポートランドに行っているのですが。まさに、そのタイミングで人のマッチングを可能にするプラットフォームサービスにニーズがあるんじゃないかと確信しました。

――移住をお子さんに伝えたときの反応はいかがでしたか?

子どもにはGWに告げたんですよ。友達と別れるとか、鎌倉のおうちが無くなる、住まなくなることを理解するまでは1か月ぐらいかかりました。今はアメリカの小学校に行くことも受け入れていますね。

学校は、日本語と英語が両方使える公立の小学校に決めました。少なくとも日本語が片言でも喋れる先生がいるという環境の方が、子どもにとっては良いだろうと思い、そういう学校がポートランドにあることも移住をする決め手の一つになりました。

8月に米国へ移住。とりあえず飛び込んでみる

――移住後のワークスタイルはどうしていきたいですか?

今の会社は、住む場所や暮らす環境に自分なりの美学がある人を採用しようと思っているので、会社としてはリモートワークに寛容ではあります。雇用形態も様々で、いろんな人をメンバーとして迎え入れていますね。

特に長いのは長野県の八ヶ岳に住む編集者もずっとリモート。他にも長野県にもう一人、農業しながら、かたやフロントエンジンもやっている男性がいたりします。彼が入ったちょうど1年前頃からリモートのメンバーを増やそうと決めて、私たち自身もリモートのメンバーが働きやすいように努力をしてきました。

なので、移住後のリモートワーク自体に不安はないんですけど、時差には不安があります。時差の分、今がフルだとしたら、働ける時間はその4割ぐらいになるというイメージでいてくださいとメンバーには伝えています。メンバーとの期待値コントロールと何をコミットするかを共有することはリモートにおいてとても大事だと思っていて。だからそこをしっかり話す場を設けていきたいです。

――移住直前の心境を教えてください。

いざ行こうと決めたら行くしかないんだなという心境ですね。楽しみですけど、大変なことの方が多いんだろうなと思ってもいます。でも今までとは違うところで暮らすという楽しさは絶対あると思うので、とりあえず飛び込んでみようという気持ちの方が大きいですね。

別に行かなきゃいけない理由は何もなくて。働く時間も少なくなる。子どもにとってもどちらがよいかは正直分からない。彼(子ども)は友達との別れもあるし、私や夫も向こうで仕事が待っているということもない。別に「行かなきゃいけない」理由は何もないわけです。

何のために行くのかと言われたら、「行きたいから行く」ということしかないんですよ。

行かなきゃいけない理由はないけど、行きたいから行く。移住と引っ越しの違いはそこですね、たぶん。

何年間いるとか、そういうのは特に決めてないです。気に入ったらずっとそこにいようと思うかもしれないですし。ただこれから、2拠点か多拠点にはしたいと思っています。仕事で、地域に知り合いもできて、住みたい場所がたくさんあるんです。

今改めて、人生や、暮らしって、蓄積なんだなって思っていて。これまでの1個ずつの出会いや自分が歩んできたこと、やってきたことが積みあがり、繋がっていくのを、この2年間すごく経験しました。

だから私は「人との繋がり」を大事にしたいと思っていて、そこをマッチングする事業がとても好きなんです。PRもブランドも蓄積と言いますしね。それと一緒で人との縁とか、自分の人生も完全にストック。どういう風に歩むのか?どういう風に暮らすのか?は、ずっとこれまで積み上がってきたものからできていくんじゃないかと思っています。

▽SMOUTの詳細はこちらのHPより▽

https://smout.jp/

6年越しの想いが叶った移住で、今、松原さんはどんな景色を見ているのだろうか。【後編】では、実際に移住して感じたことや、生活の変化についてのインタビューをお届けする予定です。どうぞ、お楽しみに。