ベトナム、そしてカンボジアへ 変化を受けいれながらキャリアをしなやかにつなげていく | 日本語・英語講師 久保田和美さん

夫の仕事の都合で移り住んだいずれの国でも、2〜3ヶ月で職を得て新たな挑戦を続けている久保田和美さん(以下、和美さん)。現在はカンボジアに住み、東南アジア在住歴が7年を超える。日本を離れたとき3歳だった子供は、もうすぐ11歳。今年のはじめには念願の仕事に就いたものの、夏にコロナリストラに。落ち込んだが気持ちを切り替え、日本語・英語講師の仕事を始めた。

言語も文化も未知の異国の地で、生活基盤や子供の教育環境を整えつつ、自身のキャリアも柔軟に作りなおしていく。変化に向き合いながら、どうやったらそのようなしなやかさを保てるのか。和美さんにその秘訣を伺ってきた。

出産後の復職から1年半、突然決まったベトナム移住

朝トゥクトゥクで子供を学校に送ったあと、ローカルカフェでくつろぐ和美さん

ー日本を離れる前はどういう生活を送っていましたか?

都内にある母校の大学で仕事をしていました。

学生時代から大学でアルバイトをしていて、卒業後もそのまま働いていたんですね。妊娠・出産を機に、雇用契約形態の関係で育休取得が難しかったり、昔から体力に自信がなかったこともあって、いったんは退職したんですけど。

でも、いざ専業主婦となって24時間子育てとなると限界を感じて、英検や宅建を取得して再就職準備をしていました。そのタイミングで大学から「IT学部を新設するから手伝ってくれないか」と声がかかり、子供が1歳の頃に復職しました。

新設のIT学部だからか、先生方も学生さんたちも既存の枠から外れた面白いひとが多く、IT分野そのものにも興味が芽生えました。

ーベトナム移住が決まったときは、どういう心境でしたか?

すごく悔しかったです。復帰して1年半後くらいだったんですけど、教育を後方支援する仕事にとても魅力を感じていたので、もっと続けたかった。でも、日本に残ってひとりで息子を育てながら働くのは難しいだろうし、いつかは海外で暮らしてみたいという気持ちもあったので、好奇心が勝ってしまいました笑。

はじめての海外生活ながら、移住2ヶ月後に現地就職

ベトナム時代の写真。和美さんがよくランチをした食堂では、ご飯、おかず2品、お茶とデザートの定食が当時1.5〜2ドルほどだったそう。この食堂があるホーチミン1区の裏路地は、新旧がミックスされた独特の面白さがあるとのこと

ーベトナムがはじめての海外生活とのことですが、移住後たった2ヶ月で仕事を得て、働き始めています。現地で働くことは移住前から決めていたのでしょうか?

行く前は全然考えてませんでした。何のビジョンもなくて。ただ、がっつり働くタイプではないものの、専業主婦は性に合わなかったし、外国でずっとひとり家にいたら鬱々としてきてしまいそうだし、なにかしないとというのがあって。

ーそのお仕事に就く機会はどうやって得たのでしょうか?

日系の建設会社で事務職をしていたのですが、夫が勤めていた会社なんです。他につてもないし、最初は紹介がいいだろうと、わたしにできる仕事はないか聞いてもらって。1番現実的な選択肢を選んだ感じですね。

ー職場は和美さん以外、全員ベトナムの方だったと聞きました。言語や文化の壁はなかったのでしょうか?

言葉ができなかったので、当初は英語のできる1人を介して他のスタッフともコミュニケーションをとっていましたが、必要性を痛感してベトナム語を学び始めました。お昼時間も最初はひとりで日本食を食べに行ったりしてたんですけど、これじゃ駄目だとベトナム人スタッフに混じって一緒に行くようにして。地方出身の方が多かったので、おかげで地方の食文化に詳しくなりました笑。

でも、やっぱりかなり気を張っていたんでしょうね。就職して半年くらい経った頃、息子の幼稚園で先生との面談があったんですけど、その場で号泣しちゃったんです。「お母さんはこちらの生活、慣れましたか?」と聞かれた瞬間に涙が溢れて。「つらいんです、周りのひととコミュニケーションとれないし、限界です。先生、どうしたらいいですか?」って、息子の面談なのに笑。

ーたまっているものがあったのでしょうね。自覚はされてましたか?周りに相談したりはしていたのでしょうか?

できていなかったんでしょうね。海外生活がはじめてでなんか大丈夫なんじゃないかって思っていて。当時はまだ日本人コミュニティに馴染めてなくて、日本語で気軽に雑談できる相手もいなかったんですよね。

でも、その一件があってからふっきれました。先生も気にかけてくださって一緒にお茶に行ったりして、先生の友人が沢山できました笑。先生方も働くお母さんだし、わたしも教育を学んできたしで、話しやすかったんですよね。

それから、本当に偶然なんですけど、会社近くのスーパーで買い物したら声をかけられて、発足したばかりの働く日本人母の会に誘われて。参加してみて、こんなに働く母がいたんだって驚いたんですけど、一気にネットワークが広がりました。最初に勤めた会社を辞める前後から個人で日本語と英語を教え始めたんですが、そのきっかけもここからのご縁でしたね。

仕事も人間関係もゼロから構築したベトナムを離れ、カンボジアへ

カンボジアには電車がなく、日常生活における移動手段はトゥクトゥク。以前は交渉制だったが、今ではスマホアプリで呼べるようになり、とても便利になったそう

ーベトナム生活の終盤、日系ITスタートアップで現地社員に日本語を教える仕事をされていました。カンボジアへの引越しが決まったとき、どういう心境でしたか?

夫に怒りました。その仕事は本当に楽しかったし、ベトナムでの生活にもすっかり慣れて愛着を感じていて、友人も沢山できていましたから。引っ越したあとも、しばらくは「ベトナムが恋しい」って泣き言ばかり言ってました。でも、気づいたら、ベトナムで過ごした時間の半分くらい、もうここにいるんですよね。

ーカンボジアに移住されたあとも、時間を置かずにお仕事を始めたんですよね。

3ヶ月後くらいでしたね。人材派遣会社に登録して、最初にご紹介いただいた先なんですけど、カンボジアに進出する日本企業をサポートする法律事務所で、それまでで1番難易度が高い仕事でした。20代だったらついていこうと努力したかもしれませんが、慣れない環境で息子もいて、仕事に全力投球できる状況ではなく、5ヶ月で辞めることにしました。

辞めることにはなったけれど、やってみてよかったと思っています。とても勢いがある国なんだということも体感できましたし。一度経験してみたいっていうのがあるんですよね、面白そうなことなら何でも。駄目だったらやめればいいし、やらないで後悔するのはいやなので、とりあえずやってみます笑。

ー法律事務所を辞めてからすぐ日本語の個人レッスンを再開して。今年のはじめには、現地の学校でのお仕事も並行して始められたんですよね。どうやってその機会を得たのでしょうか?

日本語のレッスンはマッチングサイト経由だったり、レッスンをしている場で声をかけられることもありますね。「あなた、日本語教えてるの?わたしも先生探してたの!」みたいな笑。

学校の仕事は、日本人コミュニティからの紹介です。こちらにもお母さん同士のネットワークがあって、「仕事を探している」って周りに伝えてあったので。子供の習い事とか補習校の送り迎えのときにいろいろな情報交換をするんです。

コロナ禍がもたらした変化も乗り越えて

コロナ禍によるステイホーム期間中、家族に加わった愛犬マヨちゃん。みんなでアカウントを共有し、お互いが撮った写真をシェアしあったりと、今では家族の中心に

ーコロナ禍は和美さんの生活にどんな変化をもたらしましたか?

仕事が在宅に切り替わると同時に、息子の学校も休校となりオンライン授業が始まって、もう大変でした。集中していないのがいやでも目に入ってくるし、ずっと家にいるフラストレーションも溜まるし。関係性がどんどん悪化して、しまいには息子が口をきかなくなりました。

そして、我が家に犬が来ました。「ペットを飼いたいね」っていう話はずっとしていたんですけど、これまで躊躇していて。でももう今しかないと飼ってみたらすごく楽しくて、状況が劇的に改善しました。うちにきたときはまだ2ヶ月の赤ちゃんで、お世話が大変でしたが、愛犬を中心に家族が団結しました笑。ちょうどタイミングよく徒歩圏内にドッグランができて毎朝通うようになったら、犬仲間もできました。ちょっとした情報交換や雑談を気軽に交わせるのが嬉しいですね。

ー学校でのお仕事はいかがでしたか?

教育の後方支援という念願の仕事でしたし、現地に貢献もできると、やりがいを感じていました。なんですが、慣れてきたところで在宅勤務にシフト、夏には職員半減の対象になり、退職せざるを得なくなって。いわゆるコロナリストラですね。

ようやくやりたいことをできるとはりきっていたのに、すごく悔しかったです。でも、いったん落ち込んでわ〜っと泣いてからは、わりとけろりと立ち直りました笑。夫にも「こういう状況なのだから、あなたのせいじゃない。自分を責めても仕方ないんだから、いまできることを探せば?」っていわれて、それもそうだなって。

ーそして、日本語・英語の講師のお仕事を再開されますが、気持ちの切り替えはスムーズにできましたか?

最初は気乗りしなかったんですが、なにもしないのはよくないしと始めてみたら、意外とすんなりいきましたね。こういう時期ということもあり、コミュニケーションを通じて生徒さんの気持ちを軽くできたりと、言語を教える以外にも役に立てているのかなと感じられることがあって。ちょっと不思議ですけど、とても嬉しいですね。

ー言語を教えるお仕事について、どう考えていますか?

これまではいつも本業があって副業という感覚で続けてきたんですが、いざ本業となって向かい合ってみると、教えることが好きなのかもしれない、とあらためて感じています。この仕事をしていなかったら出会えないだろうひとたちに出会えて、いろいろな話を聞けることも楽しいんですよね。言語自体にももともと興味があって、外国語を学ぶことも好きですし。

今も、カンボジア語のオンラインレッスンを週2回受けているんです。生活するのに最低限のベトナム語が必要だったホーチミンと比べて、今の生活圏内だと英語が通じてしまうので、カンボジア語学習のモチベーションを維持するのが難しいんですけど笑。

▼ 久保田和美さんのインスタグラムはこちら

https://www.instagram.com/nancy_phn/

編集後記

(愛犬マヨちゃんの散歩中の一枚。プノンペン中心部は急激な都会化が進んでいるそう)

「わたしのキャリアはめちゃくちゃで、いつも迷っています。ウェブ上に公開するのは恥ずかしいのですが、人生こんなんでもいいんだよというメッセージになれば笑」といいながら、インタビューを受けてくださった和美さん。

変化を受けいれ、軌道修正や方向転換をこわがらず、フットワーク軽く行動に移し、試行錯誤を続けていく。一直線ではないけれども、そのときどきの経験を積み重ねながら、和美さん独自のキャリアをゆるやかにつなげていく。

そもそも、キャリアはどこかを目指して進む、まっすぐな道でなくてもいい。むしろ、タイミングやご縁で生まれる出会いから、想定外の「好き」や「得意」(あるいはその逆)を発見することだって多い。そうやって進むなかで、ふとうしろを振り返ったとき、そこに見えてくるものなのかもしれない。

先の見えない道を進む和美さんが育んできた、やわらかく、しなやかな強さ。わたしはコロナ禍による変化を受けとめきれず、この半年間右往左往してしまったけれど、そういう種類の強さこそもっと必要なのかもしれない。和美さんにそう教えてもらったように感じています。