癌を患い、仕事量を半分に 手放すことで見えてくるもの | 日韓通訳、翻訳、司会業 朴香樹(パク・ヒャンス)さん

韓国在住の朴香樹(パク・ヒャンス)さんは、日英韓を話すトリリンガル。語学留学を機に韓国に渡り、在韓歴は20年を越える。在日コリアン3世という自身のバックグラウンドもあり、日韓の橋渡しを軸に活躍の場を広げてきた。夫の日本駐在に帯同し、ふたりの娘を育てながらMBAを取得。以降、自分のアイデンティティを強みとして仕事に反映させていくワークインライフのスタイルにシフトし、新たな挑戦を続けている。

結婚・出産、転勤帯同、病いとの闘い…ライフステージごとにさまざまな出来事が起こり、それらと向き合いながらキャリア形成していくのがわたしたち【Molecule(マレキュール)】世代。どうやって優先順位をつけて、仕事を選択していけばいいのか。香樹さんに経験談を伺ってきた。

在韓歴20年 短期留学のつもりが結婚を機に定住することに

ー韓国に住み始めて20年になるとお聞きしました。韓国での生活を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

語学留学です。在日コリアンコミュニティにどっぷりつかって育ちましたから韓国語はある程度できたのですが、韓国がどういう国なのかを知りたくて。半年の滞在のつもりが主人と出会い結婚することになり、そのまま残りました。

ー渡韓した当初は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

フリーランスになってもう随分長いのですが、最初は会社員でした。日韓合弁の大手化粧品会社に勤めて、韓国側の会長と日本側の現地社長の秘書を兼務しました。タフな仕事でしたが、日韓の企業文化やビジネスの進め方のちがいを学べて、とても面白い経験でした。

そこに2年間勤めてから小さなコンサル会社に移って、そのあと独立しました。大学で日本語を教えたり、関西のラジオ番組で韓国の現地情報をお話ししたり、韓国企業の日本進出のお手伝いをしたり。某韓国財閥CEOの通訳を勤めていたときは、企業のトップが集う場にご一緒させていただくなど、貴重な経験もしました。

ーお仕事はどうやって広げたのでしょうか?

渡韓当初は在韓日本語ネイティブ人材が少なかったこともあり、日本語と韓国語ができるだけで仕事の機会に恵まれたこともありました。そのあとは、すべてひとのつながりですね。ありがたいご縁を沢山いただきました。

駐在帯同先の東京でMBAを取得 自分がやるべきことに仕事をシフト

 

香樹さんが司会および日本語字幕統括をされているベナTVの番組でのワンシーン(最右が香樹さん)。この回では平壌出身の3名をゲストにお呼びして、平壌での暮らしについて話を伺ったそう。

ーご主人の日本駐在に帯同されて、その間に大学院に進学しMBAを取得されたのですよね。娘さんおふたりがまだ小さかった頃だったとお聞きしました。

そうですね。院入学時、長女は小学生になったばかり、次女は2歳でした。育児しながらの院生活は大変でしたけど、今しかないと一念発起して。東京には4年間住み、韓国に戻って6年になります。

ー大学院で学んだことは、その後のお仕事にどう影響していますか?

自分だけの人生をどう歩むのか、自分がもっているもの、経験してきたことをどう編集して発信していくのかを、院では学びました。今の仕事も日韓の橋渡しが軸というのには変わりありませんが、多文化共生と脱北者支援の分野にフォーカスを絞っています。

わたしは在日コリアン3世ですので、日本でも韓国でもマイノリティの立場です。また、帰国事業(*)で北朝鮮に渡った叔父一家とその後連絡が途絶えてしまった、という経験をしています。いつか向き合わなくてはいけないとずっと感じてきていたので、 機会に恵まれたときすぐに動き出すことができました。

でも、それは今だからわかるし、できることでもあるんですよね。どんな経験も決して無駄にはならず、かならず後で役に立つと思います。それぞれの経験が有機的につながって、シナジー効果を生んでいる実感があります。

(*日朝両政府が推進した帰国事業では、1959年から25年間で約9万3,000人の在日コリアンの方々(約6,800人の日本人配偶者ら日本国籍含む)が北朝鮮へ渡った。*論座時事ドットコム新潟日報参照)

ー今のお仕事の内容を教えてください。

大きくわけて、ふたつの仕事をしています。

まずは、ベナTVというYouTubeチャンネル番組の司会をしています。北朝鮮出身の方、外国にルーツを持つ方をゲストにお呼びして、ライフヒストリーや韓国での暮らしについてお話を伺っています。多くの方に見ていただけるように日本語、英語、ロシア語の字幕をつけていまして、日本語字幕の統括もしています。

韓国ではさまざまなバックグランドを持つ方がますます増えており、多文化共生がこれまでになく重要な社会課題となっています。番組を通して、バッググラウンドや属性によるステレオタイプではなく、そのひと個人と出会い、共感が生まれる場を作れたらと願っています。

それから、帰国事業で日本から北朝鮮に渡り、その後脱北された方の支援活動にも関わっています。具体的には、通訳・翻訳・取材コーディネートという形で、韓国のNGOと日本のジャーナリストのグループ、当事者の方々をつなげるお手伝いをしています。依頼に応じて、ディアスポラや脱北者関連の講義や講演をすることもあります。

癌を患い、仕事量を半分に 手放すことで見えてくるもの

香樹さんのご自宅からの1枚。韓国都市部では一軒家よりマンションが人気。住民同士が集える共用施設(スポーツジムや大浴場、キッズルームやラウンジなど)が併設されていることも多いそうです。

ー病気をきっかけに仕事をかなり絞ったとお聞きしました。

はい、昨年と比べると半分以下に絞りました。やりがいというか使命感を感じる仕事ばかりなので、どうしても無理してしまっていたんですよね。仕事以外に時間を使うことに罪悪感を覚えたり、睡眠時間まで削って仕事をしたり。

昨年は仕事を抱えすぎて身体に負担がかかったのか、年末に乳癌の再発がわかり、3度目の手術を受けました。今は週2回4〜5時間病院で治療を受けていますし、心身をケアする時間も必要なので、生活スタイルを一変させる必要がありました。

ーその決断をされたとき、どういうお気持ちでしたか?

せっかくここまでやってきたことが中断されてしまう、もっと追い求めたいのに、という気持ちがありました。

でもね、いざ決めたら、そういう虚無感や焦りみたいなものが驚くほどなくなったの。もう本当、すっきりしちゃって(笑)。抱えていたものを手放して、はじめて見えてくることってありますよね。

ー具体的にどのような変化があったのでしょうか?

生活面でいえば、ウォーキング、ヨガ、サウナを毎日欠かさないようになりました。食事に気を使い始めたら食育にも関心が強くなって、子供と食べ物についてよく話すようにもなりましたね。家族と一緒にゆっくり過ごす時間も楽しんでいます。

以前ならこういう時間の過ごし方は考えられませんでした。週末でもパソコンにはりついて仕事してたりして、家族に申し訳なかったなって(笑)。

これまでは仕事が最優先でしたけど、仕事以外にやりたいことが広がりました。趣味を楽しむ喜びも知りました。趣味から始まることも、のちのち何かにつながっていくこともありますしね。

変な言い方かもしれませんが、癌を患ったことで、人生とのよりよい向き合い方を教えてもらったようにも受けとめています。堂々と自分のために時間を使えるようになったんですよね。癌が完治したとしても、もう以前のような生き方はしないだろうな、と思います。

仕事との向き合い方にも変化がありました。以前は完璧にやらなくちゃという圧迫感だったり、周りからの評価を気にしてしまうこともありました。今は心に余裕が生まれて、より楽しめるようになりました。

ベナTV番組での司会業は担当番組を大幅に減らしてもらって、そのことを番組内でもお伝えしたんですね。そうしたら、視聴者の方々からびっくりするほどの反響をいただきました。励ましの言葉や、身体にいい食べ物やなかには治療費にとお金を送ってくださった方までいて。こんなに応援してくださる方がいらしたんだなあと、励まされましたね。

コロナ禍での変化はいずれくるはずだったもの 変化は常に柔軟に受け入れる

ベナTV番組収録後、ゲストの方と撮った1枚。韓国では在留外国人数が2018年に200万人を突破、12年間で3.9倍に増加(聯合ニュースより)。政府も全国に多文化家族・外国人支援機関を設置するなどしている。

感覚的なものにすぎませんが、遠からぬ未来にくるはずだった変化が前倒しで一気に押し寄せた、というように捉えています。その分痛みは伴うけれども、避けられない変化なのであれば、早めに対応したほうがいいんじゃないかな、とも思います。

たとえば、うちは中学生と小学生の娘がいますが、中学校は1週間登校したら次の2週間は自宅でオンライン授業、小学校は週に1回だけ登校で、あとはオンライン授業なんですね。コロナの状況が落ち着いたとしても、どちらの学校も以前のように毎日登校という形に戻ることはないんじゃないかな、と思っています。

いままで当たり前だと思っていた既存の学校システムを見直し、新しい教育を考えるいい機会なのではないかと捉えていますね。

ーこれからのことについて、考えていることがあれば教えて下さい。

50代目前という年齢や病気のこともあり、時間の有限性を痛感しています。労働時間を切り売りするような働き方はもうしたくなくて、あとに価値が残っていくような、そして新しい価値を作っていけるような仕事を選んでいきたいと思います。

でも、つぎからつぎへとやりたいことが出てくるので、困ってしまうんですよね(笑)。

癌患者の当事者グループに入っているので、癌患者としての生き方や、代替療法や食事療法なども、学ぶようになりました。家で過ごす時間が増えたことで、どういう空間で暮らしたいかを真剣に考えるようになり、夫とふたりで不動産や理想的な住空間についての勉強も始めました。娘が多文化教育を提供する学校に通っていたこともあって、教育にも強い関心を持っています。働き方や生き方への興味はずっとありますし。

またいそがしくなりすぎないように、気をつけなくちゃですね(笑)。

編集後記

ご主人の故郷・慶尚道(朝鮮半島南東部)の田舎道を歩く、娘さんふたり(5〜6年前に撮影)。日韓の文化を行き来しながら育っている。

香樹さんのお話をお伺いしながら、キャリアを含む人生の転換点というのは一度超えたら終わりなのではなく、生涯を通して繰り返し訪れるものなんだな、という感覚が強くなりました。

転換点を迎えるたびに、それまでのことを棚卸しして、方向性を見直し、調整を加える。その繰り返しの中で、大事なものがよりクリアに見えてくる。そして、手放すことを選んだとしても、それはすでに自分を支えてくれる大事な経験となっているし、もしかしたらまたどこかでふたたび出会い直すかもしれない。

そうやって循環してつながっていくものというイメージでとらえると、選択をすることを必要以上にこわがらなくていいんだな、と思えました。

香樹さんには、2014年にも渡韓前のライフヒストリーについてインタビューさせていただいた経緯があります。そのときのインタビュー内容を一部修正した文章を以下のリンク先に載せてありますので、併せてお読みいただけると嬉しいです。

▶︎ 海外で活躍するマレキューラーの過去のインタビュー記事はこちらから

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