「自分らしさ」ってなんだろう。誰もが一度は考えてみたことがあるのではないでしょうか。本を読んでみたり、何かのワークショップに参加したり。自分らしさを見つける作業は、自分一人ものとしてとらえている人は多いかもしれません。そんな中、ちょっと意外な方法で自分らしい働き方を見つけた人がいます。加藤公恵さん(以下、加藤さん)です。加藤さんは特別養護老人ホームさくら荘(福井県勝山市)で看護師をしています。彼女が「自分らしさ」に気づいたのは2022年から迎え入れているインド人スタッフのおかげでした。6月の「外国人雇用啓発月間」を機に、福井のまちで起きたエピソードをお届けします。スタッフが足りない……加藤さんが特別養護老人ホームさくら荘の運営に関わることになったのは2021年。さくら荘にやって来た加藤さんはまず、スタッフ間のコミュニケーションに齟齬が生まれていることに気がつきました。人手不足のためにスタッフが疲れ果てており、意思疎通がうまくいっていなかったのです。入所希望があってもスタッフが足りないため、断らざるを得ない状況でした。そこでさくら荘が視野に入れはじめたのが、外国人材に来てもらうことです。インド人の介護スタッフ15人を育成就労(旧特定技能)制度で受け入れることになりました。「日本の経験は価値になる」支え合いのチャレンジ育成就労とは、人材確保が難しい業種で、一定の専門性・技能を持つ外国人に日本で働き続けてもらうための制度です。さくら荘が制度の活用を考えたのは人手不足の解消のためでもありましたがそれ以上に、国を越えた支え合いをつくりだしたいという想いがありました。14億人の人口を抱えるインドは、今、世界でもっとも成長を続けている国のひとつです。ところがこの成長スピードはそう遠くないうちに鈍化すると見られています。社会が豊かになると、子どもを持つ人が減ると考えられているためです。これは日本をはじめ、産業化が進んだ国に共通して見られる特徴だと言われています。「インドも将来は少子高齢社会になる可能性があります。そのとき、日本で働いた経験やつながりを活かしてもらえたら」と加藤さん。日本で働くインド人スタッフはどんな人?さくら荘で働くインド人スタッフは、インドで看護師資格を持っています。しかし日本で看護師として働くには日本の看護師資格が必要なので、介護スタッフとして活躍してもらうことになりました。看護師資格を持ち日本語もできる優秀な彼女たちですが、現時点ではインドより日本で介護スタッフとして働いた方が待遇がよいとのこと。家族への仕送りや、子どもの教育資金づくりのために来日した人もいれば、アニメなどの日本文化に興味がある人もいます。来日の目的はそれぞれですが、犯罪の少ない日本で働くことを家族も喜んでいるのは共通点だそうです。インド人スタッフで変わる まちと職場と私インド人スタッフを迎えて1年以上。さくら荘の様子も以前とは変わりました。これまでさくら荘では、仕事は見て覚えるのが中心でした。ところがバックグランドが異なる人を相手にするとそういうわけにもいきません。入所者の名前や、関わり方で気をつけてほしいことを1枚の紙にまとめて共有するなど、業務の体系化をより大事にするようになったそうです。入所者のスタッフに対する伝え方も変わりました。日本で働く外国人にとって、方言は習得が難しいもののひとつです。私たち日本人が教科書で標準的な英語を学ぶように、外国人が学ぶ日本語は標準語。ところがさくら荘で飛び交うのはなまりのある福井弁ですから、イントネーションや言葉遣いは標準語とは異なります。何度か「通じない」経験をしたことで、入所者も日本人スタッフも、誰にでもわかりやすいように伝え方を工夫したり、丁寧な言葉で伝えたりするようになりました。インド人スタッフの存在は街にも刺激を与えています。先日はインド人スタッフとカレーを作り、地域住民と交流する会がありました。「インドの方は陽気で前向きな人が多いですね。ここ何年か、さくら荘では新しいスタッフの採用がなかったので、刺激になっています」と話す加藤さんも、変化を感じている一人です。「人によって違う」の意味がわかった「『多様性』という言葉の意味はわかっていたつもりでしたが、いまいち理解しきれずにいました。事前にインドの方たちは宗教によって食べるものが違うと学んだのですが、本当にそうなんですよね。『人によって違う』って、こういうことなんだと感じました。それなら日本人だってそうだな、とストンと自然に入ってきました」。インドでは人口の約80%がヒンドゥー教を信仰していますが、14%はイスラム教です。さらにイギリス統治下の影響でキリスト教のほか、少数派宗教を信仰する人もいます。「15マイルごとに方言が変わり、25マイルごとにカレーの味が変わる。100マイルいけば言葉が変わる」と言われるインド出身のスタッフは、福井の街に新しい風を吹き込んでいるようです。「私がどうしたいか」を考えるようになったインド人スタッフは加藤さんに「自分らしさ」を気づかせてくれた存在でもあります。3回の育休・産休を経験した加藤さんは、10年ほど子どもメインの生活を送ってきました。「この10年は子どものことをしながら仕事をするという感じでしたね。一方、仕事をしっかりやらなければいけないという気持ちも強くありました。子連れ出勤させてもらったり、急なお休みをいただいたり、子育てしながら働き続けられる環境は整えてもらっていたものの、自分の中で仕事と私は混ざり合うことはなくて『それぞれ別』という意識があったように感じます。その枠がインド人スタッフと接することで薄らいでいったんです」。来日したスタッフは独身とは限りません。中には、子どもや家族はインドで生活を続けながら、単身で来日している方もいます。「もちろん家族と一緒にいたい。でも、子どもに教育を受けさせてあげたいから、今は仕事を頑張る」そう言いながら、休憩時間に家族とLINEで話したり、子どもの学校が終わった時間に勉強を見てあげたりするインド人スタッフの様子を、加藤さんは目にしてきました。日本では「女性が家を離れるなんてとんでもない」という見方がされがちですが、彼女たちはそうではありませんでした。仕事も子どものこともどちらも大切にするインド人スタッフを見るうち、加藤さんの考え方も変わってきたのです。「『母親だから』ではなく、自分らしく生きていくことを大切にしたいと思うようになりました。仕事も母親であることも、『やらなきゃいけない』ではなく、『私がどうしていきたいか』を考えるようになりましたね」。生きがいが人を健康に ポジティヴヘルスに出会う「自分がどうしたいか」を重視する新しい健康の概念は、地域包括ケアの文脈でも注目されはじめています。オランダ発のポジティヴヘルスです。従来の医療では、たとえば血圧が高い人の場合、まず医師が薬を処方したり生活改善を促したりするのが一般的です。一方、ポジティヴヘルスでは「生きがいのために健康がある」と考えます。「あなたが大事にしていることは何ですか」「何が好きですか」といった対話から、本人が今の状態をどう思っているのかを理解し、そのために何をするべきなのかを考えていきます。つまり、これまでの医療福祉とポジティヴヘルスの発想は順番が逆なのです。発祥の地であるオランダでは、医療費の削減にもつながったと言われています。加藤さんが勤める医療法人オレンジは2015年にオランダ発のポジティヴヘルスという概念に出会い、導入を始めていました。「ポジティヴヘルスは、高齢社会に合った考え方だと思います。年をとってできないことが増えることを嘆くのではなく、私の生きがいはこれだから、それを実現するためにどうするかという考え方になっていくんです」チームと専門性が人を多面的に支える加藤さんが医療福祉の現場で「自分らしさ」の重要性に気づいた出来事があります。最期は自宅で迎えたいと希望していたひとり暮らしの末期がん患者を担当したときのこと。一般的な医療では「(症状を考えると)ひとり暮らしの場合、在宅は難しい」と考えられがちです。しかしオレンジは、在宅医、訪問看護師、ケアマネージャー、訪問薬剤師などの専門職が話し合う場を設けました。そして、それぞれの視点からどうすれば患者の意向を叶えられるのかが話し合われ、無事、本人の希望を叶えることができたのです。そのとき加藤さんは多面的に人を支えることの意味や、チームの中で開く専門性とはどういうことなのかを実感したといいます。それぞれの「自分らしさ」で支え合うそれ以来、加藤さんは家族とも「自分はどうしたいのか」という観点で話をするようになりました。自分も目の前の人も「本当はこうしたかった」と後悔することがないように、やりたいと思うことはその場で話をすることにしているのです。そのスタンスは職場でも変わりません。自分がどうしたいのかを大切にすると同時に、目の前の人がどうしたいのかを大切にしていきます。それを組織でやっていくと、仕事が楽しいと感じる人が増える。するとチームの力が上がり、結果的に入所者のケアにもつながる、と考えているのです。仕事も家庭も楽しむために「私」はどうしたいのか。そして加藤さんは今、地域の医療機関や関係者と連携をとりながら、福祉施設が街にどうあるとよいのかを模索しています。インド人スタッフと共に働き、ボジティヴヘルスを学んだ加藤さんの中で、自分の生活と仕事・地域が混ざりはじめました。医療法人オレンジグループ(文:molecule編集部/写真:加藤公恵さん提供)