不登校は問題じゃない?外資系から介護への転身で見えた”普通”
2023/5/12
不登校が増えています。
これまでも、GWや夏休みなど長い休みの後は不登校が増える傾向にありましたが、コロナ禍以降、その傾向は顕著になっているといわれています。
子どもは毎日登校するのが「普通」。
そう思っているMolecule(マレキュール)読者は多いかもしれません。我が子が不登校になると、どうにかして学校に行かせようと考えるのではないでしょうか。
一方、子どもの不登校に直面しても軽やかに生きている人がいます。訪問介護の分野でコーディネーターをしている森山由記子さん(以下、森山さん)はその一人です。
かつて外資系のIT企業に勤めていた彼女の人生を大きく変えたのは、娘の不登校でした。
娘の不登校で考え抜いた”普通”の意味
森山さんの娘が行き渋りを始めたのは、娘が小学3年生のとき。コロナ真っ最中のときでした。
「学校に行きたくないのは、本人の甘えや親の管理不十分だと思っていたんです。」
不登校が始まった頃のことを、森山さんはそのように話します。
今では不登校は一般的に知られています。しかし、森山さんが育ったのは「不登校」という言葉がなかった時代。
学校に行かないのはおかしい、と思っていたので「登校させない」選択肢は頭にありません。「少しすれば、また登校できるようになるだろう」と考え娘を学校まで送迎していました。そのため仕事量をセーブし、1日2時間ほどしか働かなかったこともあったといいます。
やきもきしていたのは森山さんだけではありません。実は娘も「私のせいで、お母さんが仕事に行けなくなっている」と罪悪感を感じていました。
たとえ我が子でも、子どもは自分じゃない
大学卒業後、海外にわたり商社や外資系企業などでキャリアを積み重ねてきた森山さん。
そんな森山さんにとって、学校に行くのは「普通」のことです。そのため、はじめは娘の不登校を受け入れられませんでした。
森山さんが娘の不登校を受け入れられるようになったのは、夫がきっかけです。
森山さんの夫は人見知りで、にぎやかに過ごすのが得意なタイプではありません。以前は単身赴任や海外出張もありましたが、コロナ禍でワークスタイルが変わりました。世の中では外出制限に対する不便の声も数多く聞かれましたが、夫はむしろ快適さを感じていたといいます。
そんな夫ですから、娘の不登校にも別の意見を持っていました。「学校が合わないなら、家にいてもよいのでは。今はいろんなツールで、家で勉強できるんだし」
じれったさもありましたが、夫と娘が自宅で過ごす様子を見ているうちに、少しずつとらえ方が変わっていきました。
「自分の子どもは自分ではないってことに気がついたんです。他の子は毎日学校に行って、塾に行って、部活して…それが彼ら・彼女たちの日常です。娘は家で勉強して、自分で昼食も作って…うちにとってはこれが日常で、普通なんです」
たとえ家族であっても、「普通」は人によって違う。自分の想像の範囲外のことがあるのかもしれない。それを受け入れたことが、森山さんの人生を大きく変えていくことになります。
”普通”をアップデートして福祉業界に転身
長年ビジネスの世界にいた森山さん。なぜ、未経験の福祉業界に飛び込んだのでしょうか。
そこには娘の不登校から得た気づきが大きく関係しています。
サポートは親より他人がいいことも
子どもが不登校になると、我が子のことで手一杯になってしまうことは多いかもしれません。しかし、森山さんは「娘を理解したい」との気持ちから、地域のNPOのお手伝いや児童デイサービスでの活動を始めます。
そこで出会った相談員や心理士との関わりが、大きな気づきになりました。
「必ずしも親が子どものすべてをする必要はない。親にはできないサポートが、他の人ならできる。そうすることで社会が回っていくんじゃないか」
また、森山さんの「普通」が変わりました。
言葉にならない思いを汲み取る
いま、森山さんはユースタイルラボラトリー株式会社で、難病の方や障害のある方を在宅で介護する「重度訪問介護」に関わっています。
利用者とヘルパーの双方と関係性を築きつつ、困っていることや言いづらいことをヒアリングしてコーディネートするのが仕事です。
利用者やその家族には「ヘルパーに負担をかけてしまう」とサービスの利用をためらう方もいます。自分では言葉にできない方も少なくありません。家族など周囲の人が大事にしていることを汲み取り、自宅での生活を続けられるサポートのあり方を模索し、提案することもあります。
そこに必要なのは、丁寧なコミュニケーションです。「その積み重ねこそが、やりがい」と森山さんは話します。
障害のある子どもが大人になって安心して過ごせる場所を
森山さんが重度訪問介護の仕事に関わるようになったきっかけは2つあります。1つは児童デイサービスでの経験です。重い障害のある子どもと向き合ううち、この子たちは将来どうなってしまうのだろうと思いました。
「もちろん本人も不安だと思いますが、それ以上に親はもっと不安だと思います。親はいつまでもサポートできるわけではありませんから…。」
子どもたちが大人になっても安心して生活できる環境づくりを担いたい。
その思いが、森山さんを支えています。
”普通”の幅を広げると人生は豊かになる
もう1つのきっかけは、約320世帯の自治会長になったこと。そこは、効率や合理性を重視する考え方からすると不思議な世界だったそうです。
私たちは誰もが自分が思う普通が、他の人の「普通」だと思っています。しかし、同じ日本にいても組織やコミュニティが違えば、価値観はまったく違ったものになるでしょう。
「違う価値観を持つ人と付き合うことで、人生が豊かになりました」
誰もが”普通”の暮らしをするために
娘の不登校を機に、考え方も働き方も大きく変わった森山さん。今後は、誰かの助けになりたいと思っている人と、助けてほしい人をつなげる活動をしていきたいと話します。
「階段の前で困っているベビーカーや車椅子の人がいたら、海外ではみんなで手助けしますが、日本ではそうしない。そのため、日本人は冷たいと言われています。でも、必ずしもそうとは言えないと思うんですよね。なぜなら、”あなたにサポートして欲しい”と言われたら、喜んで手を差し伸べたいと思っている人はたくさんいるからです。支援を受ける側の人は、自分からは言い出しにくいと感じていますし、サポートする側は自分の手助けが迷惑にならないかを心配しています」
森山さんの住む神戸市は、1995年に阪神淡路大震災を経験しました。そのとき助け出された人の約8割は、救助隊によるものではなく、近所の人によるものだったというデータがあります。
いま、そうした近所付き合いが失われつつあります。誰もが当たり前の、普通の暮らしをしていくには、近所付き合いに代わる新しい助け合いの仕組みが必要なのかもしれません。
小さなことの積み重ねが社会を変えていくと、森山さんは信じています。
Writer Profile
78年宮城県生まれ。教員として20年以上働いたのち、新しい生き方をスタートしました。現在はフリーライターをしながら、特別支援学校非常勤講師/コーチとして働いています。自分らしく納得感のある生き方・働き方を追求中。Molecule(マレキュール)でそのエッセンスをお伝えできたらと思っています。