「家での食事が多少手抜きでも、栄養満点の給食があるから大丈夫」。働く親にとって、給食は子育ての心強い味方です。しかし、その給食が今、人手不足やコスト高騰といった深刻な課題に直面していることをご存じでしょうか。当たり前のように享受している給食の、知られざる裏側はどうなっているのか。今回は、創業以来58年間食中毒ゼロを誇る学校給食事業を営む、株式会社東洋食品の専務・荻久保瑞穂さんにお話を伺いました。外資系金融機関でキャリアを積んだ後、家業を継ぐという異色の経歴を持つ彼女は、3人の子を育てる母でもあります。業界の常識を覆す組織改善、そして自身の経験から語られる仕事と子育ての両立術。「自分にしかできない仕事」に情熱を注ぐ彼女の言葉から、私たちが明日を前向きに生きるためのヒントを探ります。「安さ」か「豊かさ」か。給食が直面する現実「子どもの口に入るものだから、安全が第一」。そう考える親にとって、東洋食品の食中毒ゼロという実績は大きな安心感につながります。東洋食品では、保健所出身者で構成される「衛生部」が、外部監査と同じ厳しい視点で全事業所を巡回・指導。さらに、食品安全の国際認証「ISO22000」を取得するなど、徹底した衛生管理体制を構築しています。「ルール通りにやっていれば食中毒は起きません。だからこそ、従業員一人ひとりへの教育が何よりも大事です」と荻久保さんは語ります。一方で、給食業界が厳しい現実に直面していることも見過ごせません。深刻な人手不足や人件費の高騰により、事業の継続が難しくなる給食業者も出てきています。今春話題になった、福岡市の給食のおかずが寂しいというニュースは、多くの保護者が心を痛めたのではないでしょうか。物価高騰の中で奮闘する現場の苦労がうかがえますが、背景には自治体による委託業者への「発注の仕組み」も関係していると荻久保さんは指摘します。現在も多くの自治体では、価格の安さを最優先して委託業者を決める方法が主流です。しかし、安さだけを追求すると、サービスの質や働く人々の環境にしわ寄せが及ぶ懸念があります。「子どもたちの健やかな成長を支える給食だからこそ、価格だけでなく、品質や提案内容も含めて総合的に判断する仕組みが大切です。質の高い食事を安定して届けられる体制を、社会全体で支えていく視点が求められていると感じます」と荻久保さんは語ります。未来を担う子どもたちの食の豊かさが、価格競争の末に損なわれることがあってはならないでしょう。給食の価値を社会全体で改めて考える時期に来ているのかもしれません。35歳で家業を継ぐ覚悟を決めるこうした業界の課題に、新たな視点で切り込んでいるのが、荻久保さんです。世界的な金融情報サービス企業ブルームバーグ・エル・ピーほか金融業界でキャリアを積んできた彼女が、家業を継ぐことを決意したのは35歳の時でした。「父から『いつになったらうちの会社に来てくれるんだ』と言われたのが35歳の時で、奇しくも父がこの会社に入ったのと同じ年齢。節目だと感じました。」周囲からは「もったいない」という声も多く聞かれたと言います。しかし、彼女の心は決まっていました。「金融業界で私の代わりになる人はたくさんいます。でも、この給食事業の跡継ぎは自分にしかできない仕事。そこに大きなやりがいを感じました」創業者の祖父、会社を成長させた父。その想いと歴史、そして17,000人を超える従業員の生活を背負い、会社を未来へつないでいく。その役割は、創業家の一員である自分にしか果たせない。その強い使命感が、彼女の決断を後押ししました。世界経済のダイナミズムを追うスケールの大きな仕事から、一人ひとりの笑顔に直接触れられる、確かな手触りのある仕事へ。「『東洋食品さんに委託してから給食が美味しくなりました』と言われるのが、何より嬉しいです」と語る彼女の表情は、充実感に満ち溢れていました。「なぜやるの?」育休復職率95%の会社が大切にしていること質の高い給食サービスを安定的に提供し続けるには、最前線で働く従業員一人ひとりが、安心してやりがいを持って働ける組織づくりが欠かせません。東洋食品に入社した荻久保さんが、最も力を注いできたのは、組織の改善でした。「私が入社したばかりの頃、会社は完全な縦割り組織でした」。そう振り返る彼女が東洋食品に持ち込んだのは、前職で学んだ「Keep everyone in the loop(みんなを巻き込む)」という文化です。部門横断的なプロジェクトを次々と立ち上げ、オープンな議論の場を創出。その際、彼女が徹底してこだわったのが、「Why(なぜやるのか)」から伝えることです。「マネージャーが目的を語らずに『What(何をやるか)』から始めると、部下は何のためにやっているのか分からず、モチベーションが上がりません。『これをやると、あなたやチーム、そして会社にこんないいことがある』と大義名分をしっかり伝えることを大切にしています」この組織風土は、従業員の8割を占める女性が、ライフステージの変化にしなやかに対応できる環境づくりにもつながっています。産休・育休制度の活用をトップ自ら推奨し、今や育休復職率は95%。復職後のポジションを保証することはもちろん、復職者の不安を解消するための「メンター制度」や、一度退職しても戻ってこられる「リターン制度」など、きめ細やかな施策が社員の安心感を作り出しています。焦らない、比べない、抱え込まない経営者として多忙な日々を送る一方、プライベートでは3人の子を育てる母でもある荻久保さん。「仕事も子育ても、完璧に両立なんてできていませんよ」と、彼女は朗らかに笑います。「私なりの秘訣は2つ。1つは『やらないタスクを決めて手放すこと』。もう1つは、仕事も子育ても『80点でいい』と思うことです。自分と家族がハッピーにならないことは、完璧にこなす必要はないと思っています」夫や保育園、時には病児保育にも頼る。産後ケアの担当者に言われた「お母さんがハッピーでいることが子どもにとって一番いいんだよ」という言葉が、今もお守りになっているそうです。キャリアについても、焦る必要はないと語ります。「育休復帰直後は、昔のようにフルで働けないジレンマを感じるかもしれません。でも、その時々のライフステージにあったバランスで、無理なくやりがいを感じられる働き方を見つければいい。私も今は海外出張を我慢していますが、数年後に子どもがもう少し大きくなったら行けるだろうと、未来を想像して楽しみにしています」◇取材を通して見えてきたのは、学校給食という仕事への誇りと、未来への強い希望でした。荻久保さんが目指すのは、給食センターを単なる調理施設ではなく、地域の「食の拠点」「子育て拠点」「防災拠点」へと進化させ、より社会に貢献していくことです。「未来を想像して、今から楽しみにしています」。 そう語る彼女の笑顔は、私たちに教えてくれます。今できないことがあっても、未来は自分たちでおもしろくできるのだということを。明日、子どもたちが口にする給食。その温かい一食の向こう側には、業界の課題に立ち向かい、働く仲間を思いやり、未来を信じて挑戦を続ける人々の物語があります。仕事も子育ても、完璧じゃなくていいのです。大切なのは、自分と家族がハッピーでいること。だから私たちも、完璧じゃない自分をまるごと認めて、もっと自分を信じて、軽やかに明日へ一歩踏み出してみませんか。その一歩が、きっと私たちの未来をもっと豊かにしてくれるはずです。株式会社東洋食品