「家族とは、『たまたまご縁があって一緒にくらしている人たち』。今はそう思っています」 そう語るのは小野春さん(以下、小野さん)。子育てするLGBTとその周辺をゆるやかにつなぐ団体「にじいろかぞく」の共同代表です。 小野さん自身、同性のパートナーとステップファミリーを作り上げてきました。ステップファミリーとは、子どもと一緒に結婚や同居をしてできた新しい家族、家庭のこと。 今、小野さんは法律上の性別が同じカップルが結婚できないことが憲法違反だとする「結婚の自由をすべての人に」訴訟の原告の1人として活動しています。 団体の共同代表、訴訟の原告……こう聞くと、マイノリティーの権利獲得を目指して活動する「強い女」をイメージする人もいるかもしれません。でも実際の小野さんから感じるのはとてもやわらかい、自然体な雰囲気です。 小野さんはどうやって自分たちの家庭を作り上げ、まだまだ理解が広がっているとはいえない日本で自分たちのことを周囲に伝えてきたのでしょう。 小野さんのストーリーから見えてくるのは、同性・異性カップル問わず、私たちが誰かと家庭を作り、周囲と分かり合っていく上での大きなヒントです。自分と向き合って磨かれた「伝える力」小野さんとパートナーは共に、過去に男性と結婚し、子どもを産んでいました。それぞれが離婚後、互いの子どもを連れて一緒に暮らすようになり、おつきあいが始まりました。 愛する人との暮らしではあっても、一般的な「普通」とはかけ離れた母ふたりの家庭。決して順風満帆ではなかったといいます。 異性とのお付き合いでは「ただ好きになる」だけで良く、誰かに向けて説明する必要はありません。とても楽ではありますが、その分自分を掘り下げるきっかけがないともいえます。 しかし、同性と恋愛をする上では自分自身のことを言語化し周りに伝える必要に迫られることもあります。 それまで同性を好きになる経験が少なかった小野さんは、自分のセクシャリティを説明できるまでに10年以上かかりました。 自分の親など近い関係の人に伝えるのも大変でした。相手も混乱している中、自分自身がグラグラして確信がもてない状態だと、余計に伝わりにくくなります。 小野さんは、周囲に伝わらないもどかしさを感じる中で、自分自身をとことん掘り下げていったのです。 葛藤や「分かりあえない経験」を乗り越えたこのプロセスは、小野さんに「伝える力」だけでなく自分と向き合う経験も与えてくれたのかもしれません。「本当の共感」が伝えてくれたもの一方、シングル同士で助け合ってきたママ友にはすんなりカミングアウトできました。それは「同じ苦労を乗り越えているよね」という本当の意味での共感があったから。 そこでは、性的指向はむしろ小さなことだったのかもしれません。 大変な時期を一緒に乗り越えた関係にあるのは、例えばSNSで「いいね」を押すような表面上の共感ではなく、一段階深い共感です。 「言える関係性が整っているといいスパイラルが生まれる」という小野さんは、身の回りの人間関係でたくさんのスパイラルを作ってきました。 しかし、それはあくまで身近な範囲内でのこと。訴訟の原告になり、広く世間にカミングアウトすることを検討した際には、高いハードルを感じたといいます。距離をとっていたのは、実は自分だった「言うのが怖い、知られたくない―この街で暮らせなくなるんじゃないかとまで思いました」 社会へのカミングアウトにためらいを感じていた小野さんですが、「自分にとってのタイミングは今だ」と、新聞やインターネットなどのメディアで顔と名前を出し活動していく覚悟を決めました。 思い切って公表してみると、周囲の反応は想像と違うものでした。 「『(メディアを)見たよ、応援してるよ』と言ってくれる人がたくさんいました。自分が思っているより、周りがもっと先に進んでいたんです。私は自分で自分を閉じ込めていたんだと気づきました」 何気ない受け取り方をしてくれた相手に対して感謝を感じたといいます。 性の多様性にかぎらず、自分のことを伝えられずに困っている人はたくさんいます。しかし、「受け入れてもらえないかもしれない」と一番気にしているのは、実は自分自身かもしれません。 また周囲も「気づいているよ、受け止めるよ」というサインを出していくことが大切だと、小野さんは言います。 今小野さんが取り組んでいる訴訟は、20年、30年前には実現しづらかったことでした。同性カップルへの理解が少しずつ進み、世論が形成されてきた今だからこそ踏み切ったのです。 この裁判は、LGBTの人たちだけのものではありません。私たちみんなの生きやすさにつながるものだといえます。その思い込み、外してみたらどうなる?私たちは、知らず知らずのうちにたくさんの常識を自分の中に根付かせているのではないでしょうか。たとえば、「結婚したら子どもを持つべき」「妻は死んだら夫の家の墓に入るもの」など……。 一般的な人生を歩んできた人ほど、「私はマイノリティーを”受け入れる側”」と無意識に思いがちです。しかし、誰しもが何らかの意味でマイノリティーなのです。 自分自身が「当たり前」の枠に無理やりはめ込まれそうになり、不自由さや悲しみ、怒りを感じた経験は誰にでもあるはずです。 「子どもを保育園に預けるのはかわいそう」「手作りが一番」など自分とは違う考え方の人と出会った時に、私たちは内心モヤモヤや憤りを感じつつも、自分の気持ちを伝えずに済ませてしまいがちです。 でも本当は、あきらめず伝えることが必要なのかもしれません。 私たちのバックグラウンドは多様で、自分の常識が当てはまらない人はたくさんいます。「人と自分は違うかもしれない。違うからこそ生まれるものがある」と思えたとき、私たちの世界は一気に広がる―そう小野さんは言います。 同性婚だけでなく、子育てしやすい社会、多様な人が生きやすい社会っていいよね、というメッセージをそれぞれが発していくこと。それが、お互いに生きやすい社会につながるのではないでしょうか。親である前に「信頼できる一人の相手になる」私たちは親になった途端、世間で「正しい」とされる価値観に縛られ、「我が子をきちんとしつけなければ」と考えがちです。小野さんも、最初の結婚の時にはそう思っていました。 しかし、同性同士のステップファミリーとして義理の娘を育てるのはあるべき姿にまるっきり当てはまらないことです。様々な苦労をする過程で小野さんは、「親になるより、信頼できる友人になること」を学んでいきました。それは親から子どもへトップダウンで命令するような子育てとは対局にあるスタイルでした。 実際、子どもにもできるだけ自分で考えさせ、それを自分の言葉で話すように促してきたといいます。常に変化する家族の形を見つめて小野さんとパートナーの子どもたちはすでに成人し、「自立」の時期に入っています。 ステップファミリーとしての悩みを抱えた時期も経て、子どもたちは裁判を応援してくれる存在になりました。 家族という形はゆるぎないもののように思われているけれど、実際は変化し続けていくものだと小野さんは言います。「子どもが小さかった時は一緒にいるのは当たり前だったし、親子は一心同体のような関係だと思っていました。でも、その時期もすごく流動的なものだったなと今は感じています」 思春期を経て精神的に分離していき、さらに物理的にも距離が生まれる。子育てはゴールに近づいても、家族であることに変わりはなく、まだまだ次のステップが続いていくのです。 自分の当たり前を疑い、周りの人と価値観をすり合わせながら家族を作っていくこと。周囲の人とコミュニケーションを取りながら、助け合える関係性を作っていくこと。 小野さんが教えてくれたのは、同性婚、異性婚の垣根を超えて、私たちにとって大きな学びになることではないでしょうか。 にじいろかぞく