メディアに登場する人は、いつも輝いているように見えます。とりわけ、自分で情報発信している人は、常に順風満帆な人生を送っているのではないかと思われがちです。しかし実際は、誰もが悩みや不安を抱えながら、一歩一歩前に進んでいます。3月8日の国際女性デーを前に、元アナウンサーからPR会社経営者へと転身し、シングルマザーとして奮闘する小野木さんの軌跡をご紹介します。食いしん坊が見つけた夢の仕事「なぜこの人は行列に並ばずに、いつも美味しそうなものを食べられるんだろう」。小学校4年生の頃、テレビでグルメリポーターを見て憧れたと笑顔で語る小野木さん。食いしん坊だった小野木さんは、その仕事がアナウンサーだと知り、夢を追いかけることを決めました。そして2009年、石川テレビ放送に入社。しかし、新人時代は自分の話し方や表情ばかりに気を取られていたといいます。「承認欲求が強くて、『新人だけどできる』ところを見せたくて必死でした」そんな小野木さんの転機は、先輩からの一言でした。「小野木のリポートは、小野木しか印象に残らないよね」。この言葉の意味を理解するまでに時間がかかりましたが、自分がうまく話せていることより「取材先の魅力や想いを引き出す」ことにもっと真剣になるべきだと気づいたといいます。5年後、「東京で挑戦したい」という思いから、フリーアナウンサーに転身。しかし、理想と現実は大きく違いました。オーディションにも呼ばれず、呼ばれても"宝くじ"のような世界だと感じたそうです。「数ヶ月後には貯金が底を突き、アルバイトを始めました」。そんな中、ラジオパーソナリティのオーディションに合格。「技術ではなく、明るさや一生懸命さを評価していただきました。自分にないものを追い求めるのではなく、あるものを信じることの大切さを学びました」この経験は、後の転機となる出来事への重要な心の準備となったのかもしれません。新たな挑戦の日々現在、社員2名と業務委託のPRパーソンとともに会社を運営する小野木さん。創業から3年で地域の企業とも次々と取引が始まりました。順風満帆に見える現在ですが、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。小野木さんが地元・愛知に戻ったきっかけは、自身の離婚です。「子育てしながら安定した収入を得るには、自分で仕事を生み出せる立場になる必要がある」と考え、シングルマザーとして新しい生活をスタートしたのでした。そんな中で、アナウンサー時代の経験が、思わぬ形で活きることになります。「攻めの広報」という選択それは「テレビ特化型広報」という独自の手法を確立したこと。「ほとんどの事業者さんは、取材は向こうから来るものだと思っています。でも実は、自分から仕掛けることができるんです」プレスリリースでは、商品のスペックだけでなく、なぜその商品を作ったのか、どんな思いが込められているのかというストーリーを重視します。「テレビは映像のメディア。単に社長と商品を並べるだけでは、視聴者は興味を持ってくれません。5分の生中継でも、視聴者を飽きさせない工夫が必要なんです」アナウンサーとしてテレビ局で働いていた経験を生かしたこの手法は、想像以上の反響を呼ぶことになりました。広報が運ぶ"幸せの連鎖"「取材を受けるお客様の表情を見るのが一番の幸せ」という小野木さん。最初は緊張していても、カメラの前で自然と笑顔になっていく。「自分の話を聞いてもらえる喜び、それが公共の電波で広く伝わる喜び。その2つの喜びを見られることが、私にとってのやりがいなんです」印象的だったのは、あるフライパンメーカーの4代目社長の話です。自社が取材された経済番組「カンブリア宮殿」の放送を4代目社長とその家族が見ていた時のことです。事業の先行きを心配して体調を崩していた先代が、テレビに映る息子の強い思いに触れ、みるみる顔色が良くなっていったといいます。「第三者の報道によって、普段は話せない思いが素直に伝わることがあるんです」先代は「息子はこんなに思いを持ってやっていたんだ」と気づき、それが安心材料になりました。売上アップや認知度向上ではなく、家族の絆が深まったり、従業員が活気づいたり。広報には、人々を元気にする力があることを小野木さんは実感しました。自分の選択を正解に変えていく離婚当初、小野木さんは自己肯定感が低く、離婚した罪悪感で子どもとまともに向き合うことも心から愛することもできない時期がありました。「子どもを一人で育てていくためにもまずは事業を軌道に乗せることが最優先でした。仕事のことで頭がいっぱいだったので子どもは『ママは自分に興味がない』『東京に住みたかったのに』と感じることもあったと思います」。しかし、起業から半年ほど経ち、ある程度仕事のペースが掴めて自分に自信を取り戻せた頃、状況が変わり始めました。周りのママ友から「お子さん、落ち着いたよね」と言われて初めて小野木さんは変化に気づいたそうです。渦中にいると自分では気づきにくいものですが、心から「この仕事がしたい」と思えるようになったことで、子どものことも自然と愛おしく思えるようになっていたと振り返ります。「育児を理由に挑戦を諦めていたら、後悔と離婚への罪悪感に今も苦しんでいたでしょう。だから自分の気持ちに正直に生きることを選びました。子どもが一時的に寂しい思いをしても、いつか理解してくれる日が来ると信じています。周りに認められなくても、自分の選択を少しずつ正解に変えていく姿を子どもに見せたいのです」。この経験は、広報の仕事にも深く通じています。時に厳しい判断を迫られ、時に思うようにいかないことも多いPRの世界。だからこそ、自分の心と向き合い進んでいくことが、クライアントの真の価値を見出し、伝えることにつながっていくのだと小野木さんは考えているのです。次世代の広報が目指すもの広報は直接的な報道ではありませんが、報道を生み出すきっかけを作る重要な役割を担っています。「報道は社会の空気を作ります。たとえばオリンピック期間中は、挑戦する選手たちの姿に勇気をもらい、社会全体が明るくなりますよね。私たち広報に携わる者には、そんな前向きな報道のきっかけを作り、社会を元気にしていく使命があるんです」広報とは、人と人との間に新しい理解を生み、時に家族の絆を深め、社会に希望をもたらす仕事です。そして、その仕事に関わる人自身が、自分の心に正直に向き合い幸せであることが、より良い広報の第一歩なのかもしれません。株式会社OKエージェンシー