「これくらい、みんなやっていることだから、ちゃんと頑張らなくては」いまの子育てでは自分を追い詰めることが、よく見られます。産後の母親の多くが新生児の授乳やおむつ交換で十分に眠れていないのに、です。これでは産後うつやネグレクト、自死などの問題はいつまでたっても無くならないでしょう。訪問看護ステーションを運営する鈴木円香さん(以下、鈴木さん)は言います。「この問題の解決には、家庭内に深く入っていける支援のしくみが必要です。それに加えて、ケアする側が自分の機嫌を自分でとれるようになることも大切です」ケアする側が自分の機嫌をとるとは、具体的に何を指すのでしょう?なぜ、鈴木さんは支援者に着目しているのでしょう?まずはケアする側のメンタルが大事「訪問看護」という言葉を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、寝たきりの高齢者のお世話をする場面かもしれません。 実際に訪問看護の利用者の8割強は高齢者です。ところが、奈良県の「訪問看護ステーションまるまる」は、全国でもめずらしい「周産期の母子ケアに特化した訪問看護」と発達に問題を抱えるお子さんとその母親の支援もしています。鈴木さんがとりわけ重要だと考えているのは、ケアする側の母親が「自分の機嫌を自分でとること」。看護や介護、教育など、人が人をケアする場で私たちは「ケアされる側」に目を向けがちです。しかし適切なケアには「ケアする側」のサポートが大切だと鈴木さんは考えています。これは、鈴木さん自身の子育て経験から得た最も大事なことのひとつです。「仕事をして帰ってきて、さあ、ご飯を作ろうとすると、子どもが何かこぼして床をびちゃびちゃにしてるんです。昔の私だったら、それに反応して『ギャー、何やってんの!』と怒鳴りまくる育児をしていました。」その状態が本当に嫌だったと話す鈴木さん。感情に引きずり回されている自分に疲れ果てていたのです。「でも、子どもだってわざとやったわけじゃないですよね。そんなに怒ることじゃないな、って自分を真ん中に引き戻せると“ティッシュ持ってきて拭いといて”と子どもに言える。冷静になれたら、しょうがないと思えるじゃないですか。その“真ん中に引き戻せる機能”をすべてのお母さんや支援者に搭載してほしいと思うんです。自分の機嫌を自分でとっていると、それができるようになりますから」自分の機嫌を自分でとれると、子どもは変わる鈴木さん自身、すぐ自分の機嫌を取れるようになったわけではありません。しかし心理学を学び自己理解を深め、「自分のケアもできていないのに、他人のケアなどできるわけがない」と気づいてから少しずつ変化してきました。鈴木さんがご機嫌でいられるようになってから、4人の子どもたちも目に見えて楽しそうに変わったそうです。母親の機嫌ひとつで、子どもは変わる。それなら、すべての人が自分の機嫌を自分でとれるようになれば世の中はもっとよくなるのに、と鈴木さんは思うようになりました。訪問看護師ならかゆいところに手が届く鈴木さんが訪問看護の道を選んだのは、2つの理由があります。ひとつは、産科病棟で助産師・保健師として働く中で、子育てに慣れるのに時間がかかりそうな母親が一定数いることに気づいたことです。子どもが生まれていきなり母親になれる人は決して多くありません。かつては父母や世話を焼いてくれる地域の人がいたりして、少しずつ自分の子育てをはじめられる環境がありました。ところが核家族化が進み、地域も小さくなる中で、サポート役を担う人がいなくなったのです。産科病棟の助産師や行政の保健師の立場では、鈴木さんが産後の母親をフォローするのも限界がありました。「行政は問題が起きるまでは動けませんし、何よりマンパワーが不足していますから、母子ケアにまで手が回らない状態です。でも問題が起きてからでは遅い。何か起きる前に、気づいて適切な支援につなげられるしくみが必要だと思ったんです」プロなのに我が子の発達障害に気づかなかった2つ目のきっかけは、子育て中にママ友から言われた「この子、検診で何も言われてないの?」という言葉でした。当時の鈴木さんは「子どもは、こういうものでしょう」と、育てにくい我が子に違和感を感じたことはありませんでした。ところが、鈴木さんの子どもはのちに発達障害を持っていることがわかります。「助産師で子育てのプロ」と思っていた自分が、我が子の障がいに気づけなかった。その後悔と罪悪感に悩む日々が始まりました。私の子育てが悪かったのだろうか。私のせいでこの子の発達に問題が起きているのだろうか。「発達障害に関する知識があるいまなら、もっと違う対応ができると思うのですが、当時は、自分を責めることしかできなくて、本当に苦しかったですね。あんな思いはもう、誰にもしてほしくありません」鈴木さんはこうした体験を原動力として、株式会社COMARUを立ち上げ、その一事業として「訪問看護ステーションまるまる」を始めたのでした。支援を続けることが「誰も取り残さないこと」じゃないサポートを必要とする人に対して、私たちは「支援してあげよう」と思うのではないでしょうか。支援することが悪いわけではありません。しかし、どこまで支援するべきかについては、よく考える必要があると鈴木さんは話します。「支援者の中には、頼られる優しい自分であることに喜びを感じ、何でもやってあげてしまう人がいます。しかしそれはケアされる側の人の自立を奪う行為です」また、ケアされる側も意識を変えていく必要があるでしょう。「福祉が常にあると思ってはいけません。災害時には福祉は機能しなくなります。いつか国の制度が変わり支援がなくなる可能性も考えておく必要があるでしょう。もしものために、弱者の状態から抜け出る方法を真剣に考えていかなくてはなりません」ケアする側の役割は支援し続けることではなく、支援がなくても生きていける力を持つ人を育てることだと鈴木さんは考えます。そのためには、ケアする側が弱者を作らないように「できることは自分でする、できないことも工夫してできるようになる」ための意識と行動の変容を促していかなければならないのです。なぜ、ケアする側は他人の自立を阻んでまで「してあげたい」と思うのでしょうか。それはもしかすると自分の中に、満たされていないものがあるからなのかもしれません。弱者を作らない社会にするには、まずケアする側が自分の精神状態をケアする必要があると言えそうです。助けを求めることは自立の一歩そこでケアする側も活用してほしいのが、鈴木さんが開発を手掛けているアプリ「MARUMARK」。自分がどんな状態にあるのかを充電残量に見立てて客観視し、必要な時には適切な支援者にSOSを出すよう提案してくれます。「自分の状態を知って、必要な助けを求めるのは、最初のステップです。他人の助けが必要だと判断すること、これ以上は自分にはできないとわかっておくことは、自分を守るためにとても大切なことです」自分の状態を理解したら、次に何をすればいいのでしょうか。「大事なのは、何をするかを自分で決めることです。いま必要なのは、ゆっくり休むことなのか、おなかを満たす温かい食事なのか、ストレス発散の運動なのかが自分でわかりますよね。それを自分で与えることを繰り返せば、自分のご機嫌を取るのはうまくなります。自分には、自分をご機嫌にする力があると思えたら、自分の真ん中に戻ってこられるようになりますよ。みんながこれをできるようになれば、世界平和も夢ではないと思っています」「自分と向き合えば向き合っただけ、自己理解は進みます。すると問題だと思っていたことがどんどん消えていくんですよね。目の前の問題を解決するというより、問題のもっと上流にある元栓をひねって、湧いてくるのを止めちゃう感じですかね」鈴木さんはにっこり笑います。助産師のアプリが世界平和を実現するところを、一緒に眺めてみたくなりました。株式会社COMARU