まもなく79回目の終戦記念日を迎えます。「戦争は悪」「戦争は悲しいもの」それは、みんなわかっているはず。にも関わらず、戦争がなくならないのは、なぜなのでしょう。私たちが平和な毎日を過ごす一方で、ウクライナやパレスチナなど世界の各地では、戦争や軍事衝突が続いています。「地球一周の船旅」を運営している国際NGO、ピースボートで「おりづるプロジェクト(ヒバクシャ地球一周 証言の航海)」に関わる渡辺里香さん(以下、渡辺さん)のストーリーを通じて、現代社会で平和を築くために必要な視点について考えてみましょう。働き方にも文化の違いが表れている「英語を使った仕事をしたい」そう考えていた渡辺さんのキャリアのスタートは、外資系のIT企業でした。今のようにスマホもSNSも一般的ではなかった当時、オンライン会議や、海外とのやりとりも多いグローバルな職場に魅力を感じていたそうです。一方「顧客に喜ばれる仕事には、語学力や、パソコンやオンライン会議システムなどのデバイスやツールより、文化の違いを理解することの方が大事なのでは」と思うように。たとえば、公共交通機関でパソコンを持ち歩くことが多いオフィス勤務の人と、車での移動や自宅勤務が一般的な人とでは、パソコンに求めるものが違います。持ち歩きが多い人にとってパソコンは軽いことが大事ですが、自宅勤務や車移動が多い人にとっては軽さより画面が大きく作業しやすいことや、アクセサリの充実度がポイントになるかもしれません。ワークスタイルの違いは、特に日本と海外との間で顕著でした。働き方にも文化の違いが表れています。その違いを考慮せず製品やサービスを提案することに、渡辺さんは違和感を抱き始めました。この体験が後のピースボートの活動につながる重要な転換点となったのです。地域によってまったく違う被爆体験への反応渡辺さんは現在、2008年からはじまった「おりづるプロジェクト」のディレクターをしています。「おりづるプロジェクト」とは、広島・長崎の被爆者の方々と共に地球一周の船旅をし、核廃絶のメッセージを世界の国々に届けるもの。2017年にノーベル平和賞を受賞した国際的な非政府組織(NGO)ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)にも関わっています。現在までに約170名、60ヵ国以上の国に証言を届けてきました。渡辺さんはその中で、被爆体験への反応が、国や地域によって大きく異なることに気がつきました。アジアの場合:冷ややかたとえば、アジアの反応は冷ややかです。「広島・長崎の被害を訴える前に、日本が私たちの国に対して行ったことを知っているのか。知らずに被爆体験だけを語るようでは、日本の未来は明るくないぞ」という、厳しい言葉を投げかけられることもあります。そんなとき「当時日本があなたの国に対して行ったことを申し訳なく思っています」その一言で、アジアの方々がふっと心を開いてくれるのを目の当たりにすることもありました。米国の場合:ビクビク一方、米国からは気後れした雰囲気を感じます。原子力爆弾を投下した米国を、日本が恨んでいると想像しているのです。それに対して多くの被爆者は「今は戦争自体がいけなかったと思っている。恨みからは何も生まれないから、一緒に平和な世界を作っていきたい」と伝えます。すると米国人もホッとした表情をするそうです。タヒチの場合:日本への共感と敬意他方、タヒチでは日本人被爆者の訪問がとても歓迎されます。太平洋で多くの核実験が行われてきたフランス領のタヒチには、核による被害を受けた人が多くいます。自分たちと同じように核被害に苦しんだ経験を持つ日本人に対して共感と敬意を持っているタヒチでは、政府の医療支援を勝ち取った方法など、日本の被爆者支援について詳しく聞かれるのだそうです。言葉の壁より「背景と感情」「英語を使った仕事がしたい」との思いから、キャリアをスタートさせた渡辺さん。しかしIT企業での経験や、ピースボートの活動を通じて、英語力以上に大切なことが見えてきました。「日本から来たというと、『あなたは広島や長崎のことをどう思っているの?』と聞かれるんです。私は東京出身だからと言っても、通用しません。相手を知り思いを伝えるには、言葉の壁を乗り越えること以上に、人や国が持つ歴史的背景や感情を理解することが大事なんだと思いましたね」。さらに渡辺さんは続けます。「海外に出ると、自分は関係ないと思っていることも“問われる”経験を繰り返してきました。外交は国がするものというイメージがありますが、日本から来た私たちが何をどう発信するかは、世界の人々の日本に対するイメージを少なからず左右します。一人ひとりが何を話し、どう発信するかが日本人像を作っていくのです。まさに民間外交だと感じます」。対話は「表に出す」ことからピースボートで働き始めてから間もない頃、渡辺さんはプログラムの参加者を募るポスターを制作したことがありました。深く考えず「20●●年、夏に開講」という文字を入れたところ、オーストラリア出身の同僚に「夏って8月のこと?私たちにとって8月は冬なのよ。この書き方では混乱するわ」と指摘されたのです。「ちょっとしたエピソードですが、この一件で私は自分の思い込みや視野の狭さに気がつくことができました。同時に、自分の意見や考えを表に出すことの重要性がわかったのです。表に出すことで、違う価値観や背景、考えに触れることができました。そこから対話がはじまるのではないでしょうか」。泥臭くていい便利で快適なモノやサービスにあふれた現代に生きる私たちは「面倒なこと」から距離を置くようになっています。おりづるプロジェクトのように、人の生の感情がぶつかるシチュエーションは、面倒の代表格と言えるのかもしれません。しかし、こうした面倒くさい経験こそが、自分にとって何が心地よいのか、何が好きかを発見するチャンスにもなり得ると言えます。「泥臭くても、直接、人と人とが向き合う。その経験が人をつなぎ、私たちを成長させてくれるのだと思います」。平和は ささやかな幸せの積み重ねピースボートの活動は、渡辺さんの人生にも影響を与えています。第一子を妊娠していた頃、実母の病気が発覚。余命宣告がされました。実母のそばにいたい気持ちはあるものの、介護は先行きが見えません。近いうちに産休・育休を取る予定もあります。仕事を休んでいいものか悩んでいた渡辺さんに、同僚が次のように言いました。「何言ってるの。一番大切な人が苦しんでるんだから、仕事なんか休んで、お母さんに寄り添いたいだけ寄り添ったらいいじゃない」。同僚からの言葉に背中を押された渡辺さんは、休むことを決心。悔いなく実母を看取ることができました。その後渡辺さんは、休職と復職を経て2人の子どもを出産。子どもたちも連れて、世界一周の船にも6回乗りました。仲間たちは渡辺さんの子どもたちを「みんなの子どもだね、うれしいね」と歓迎してくれました。渡辺さんは、同僚からの言葉がなければ母の看取りもあきらめ、子育ても全て自分で抱え込んでいたかもしれないと言います。ピースボートで働く方々の「ささやかな幸せの積み重ねが世界平和につながる」という思いは、渡辺さん自身が家族を大切にすることにもつながっているのです。生きている間に、私たちは何ができるか「生きているうちに核のない世界を」ーー。終戦から79年。被爆者の平均年齢は80歳を超え、戦争の記憶を風化させないことがますます重要になっています。それは、被爆者から次世代への重いメッセージです。「おりづるプロジェクト」で被爆者と寝食を共にする渡辺さんも、被爆者の「私たちには時間がない。あなたたちに託す」という切実な願いに、何度も触れてきました。生きている間の時間や労力を使って、学び、考え、向き合ってさらけ出し、対話を重ねる。渡辺さんは、そのことで「核のない世界」「世界平和」の実現を少しでも前に進めたいと考えています。「自分には何ができるのか」「生きている間に、子どもに何を見せられるのか」。渡辺さんは、自分自身に問いながら活動を続けています。(文:梅原ひかる/写真:渡辺里香さん提供)ピースボートおりづるプロジェクトVoyage117「ヒバクシャ地球一周 証言の航海~世代と国境を越えて~」が世界12寄港地で核なき世界を求めました