「セカンドキャリアという言葉は、実は嫌いなんです」。元INAC神戸レオネッサ社長の安本卓史さんは、そう切り出しました。 競技に専念するアスリートも、出産・育児に奮闘する女性も、社会とのつながりを失うことへの不安と向き合っています。安本さんが提案する「パラレルキャリア」という考え方は、競技や育児と並行して社会との接点を持ち続けることで、新たな可能性を開くものです。仕事は単なる収入源ではなく、社会の一員であることを実感させる重要な接点。その視点がもたらす変化とは。アスリートと子育て世代の意外な共通点アスリートと子育て世代の女性。一見異なるように見えるこの二つの立場には、「社会との接点が途絶える」という共通の課題があります。日本では出産や育児を機に離職する女性が多く、復職の壁は依然として高いままです。同様に、競技に専念してきたアスリートも、引退後に社会との接点を見出せず苦労することが少なくありません。仕事は収入を得るだけでなく、社会の一員であるという実感を与え、自己肯定感を高める役割も担っています。社会との接点を失うことは、アスリートにも子育て世代にも、次のステップへの大きな障壁となるのです。「セカンドキャリアという言葉は嫌い」「東大に入るくらいの確率でプロになった人たちが、果たして人の支援を必要とするのか」安本さんがセカンドキャリアという言葉を好まない理由はここにあります。競技だけの世界で生きてきた結果、社会との接点を失い、引退後に自分の価値を見出せなくなるアスリートたち。 そこで安本さんが提案するのが「パラレルキャリア」の考え方です。競技と並行して社会との接点を持ち続けることで、引退後もスムーズに社会に移行できる可能性が広がります。 「会社に就職させてもらったから大好きな競技が続けられる。数年続けるうちに人間関係も分かり、仕事も覚えていく。競技引退時に『うちの会社でそのまま働かない?』と言ってもらえるのが理想の形です」特に女性アスリートの場合、男性に比べて結婚・出産というライフイベントが競技キャリアに大きく影響します。 「海外に比べると出産してから競技に復帰した選手の数が圧倒的に少ない」と安本さん。アメリカでは出産後に競技に復帰してオリンピックやワールドカップに出場する選手も多いのに対し、日本ではそうした例が極めて少ないのが現状です。「全力でやったら何かが起こる」安本さんは広告業界からキャリアをスタートし、楽天グループでインターネット広告やチケット販売事業を経験。その後、ヴィッセル神戸で常務取締役を経て、INAC神戸レオネッサの社長に就任しました。 「できません」と言うのが最も嫌いだという安本さんの行動原理は「全力でやったら何かが起こる」という信念です。 この姿勢は、中学3年生で父親を亡くし、母親の懸命な支えと周囲の人々の助けで高校・大学と進学できた経験に根ざしています。「人の縁」の大切さを知る安本さんは、楽天時代に前例のない複数事業連携プロジェクトを成功させ、INAC神戸では女子サッカーチーム初の国立競技場単独開催を実現しました。「社会との接点」を失わないことの気づき女子サッカー選手と接する中で安本さんが気づいたのは、彼女たちが競技引退後に直面する大きな壁でした。「彼女たちは世界でも戦うほどの実力があるけれど、世間の人からは遠い存在と思われている」そう感じた安本さんは、選手たちと地域社会、特に子どもたちとの接点を増やす取り組みを進めました。この点で、楽天時代に携わった若年女性向けのファッションショー「ガールズアワード」は対照的でした。「ガールズアワードは世間とかけ離れたきらびやかな世界と思いきや、来場しているお客さんの感覚は、すごく近い。見て、楽しんでいる」。この対比から、社会との接点を持ち続けることの重要性を強く認識したのです。こうした経験が、安本さん独自のキャリア観を形成していきました。3時間でも5時間でも—Realizeが創る新しい働き方安本さんが取締役を務めるRealizeは、子育てや介護など時間的制約のある女性たちに、柔軟な働き方を提供しています。特筆すべきは「3時間でも5時間でもいい」という勤務体系です。主な事業である住宅設備の入居前点検業務は、物件の鍵、電気やエアコンの作動確認、清掃状況の確認など、細やかな視点が求められる仕事。全国で約400〜500人の女性スタッフが、それぞれのライフスタイルに合わせて働いています。「多くの企業では短時間勤務を断られることが多い。でもRealizeではそれが可能なんです」と安本さん。同じような境遇の仲間がいる安心感や、短時間でも社会に貢献できる実感が、彼女たちの自信につながっているのです。さらにRealizeでは、点検業務だけでなく、物件内の設備機器のリスト化や老朽化予測など、付加価値の高いサービスも提供。これにより、オーナーは計画的なメンテナンスが可能になり、入居者の満足度も向上します。こうした業務改革も、スポーツビジネスで培った安本さんのイノベーション精神が活かされています。「自分らしさ」を磨き、社会との接点を守る「仕事は社会との接点」—安本さんの取り組みは新たな可能性を示しています。「日本では女性活躍の面でまだ課題が残っていますが、これからは雇用する側もされる側も、より対等な関係を築いていく必要があります。日々の生活の中で『自分らしさ』について考え、これまでの経験を自分の強みとして活かしていくことが、私たち一人ひとりの可能性を広げていくのかもしれません」 アスリートも子育て世代も、一時的に仕事を離れることがあっても、社会との接点を失わない仕組みが重要です。「フルタイムで働けない人はいらない」という古い価値観から脱却し、多様な働き方を認める社会へ。Realizeの挑戦はその先駆けとなっています。 「個人の能力はそれぞれ違います。どこを切っても同じ顔が出る金太郎飴のように同じ考えを社員に求める経営者が多いですが、3時間だけでも在宅でも、素晴らしい能力を発揮する人は必ずいる」と安本さんは強調します。時間や環境に制約があっても、自分らしく輝ける社会の実現に向けて、一人ひとりが新たな一歩を踏み出す時が来ているのではないでしょうか。社会との接点を持ち続けることの大切さ。それはアスリートにも子育て世代にも共通する、これからの時代の重要なキーワードなのです。株式会社Realize