小6・小2の2児を育てながら、都内のIT企業・株式会社ALiNKインターネットで働く川村亜美さん(37歳)。キャリアの軸である人事職にたどり着くまでには、紆余曲折があった。新卒で入社した鉄鋼メーカーを退職したのは、東日本大震災での被災がきっかけだった。幸い川村さんも保育園にいた長男も無事だったが、車も携帯も流され、関西に住む夫は翌日まで家族の安否がわからなかった。いざというとき、家族が近くにいる大切さを痛感した。 家族揃っての暮らしを優先し、川村さんは退職。夫が働く関西でまたすぐに働き始めるつもりだったが、思うような仕事を得られず、「それなら手に職を」と資格を取得した。再就職するも、今度は職場環境が合わず、二度目の退職を経験。そうした試行錯誤を重ねる中、あるきっかけから今のキャリアの軸となる「人事」の仕事にめぐりあうことになる。家族揃っての暮らしを優先し、新卒で入社した鉄鋼メーカーを退職イメージ写真。筆者も工場が好きなので、取材中工場夜景の魅力で盛り上がった。川村さんが鉄鋼メーカーを志望した理由は、ちょっとユニークだ。 「昔から巨大なものが大好きで。ガンダムの大ファンでもあったので、ロボットの素材をつくれる鉄鋼メーカーに憧れて、この業界に絞って就活しました(笑)」 最終面接でも役員にそう正直に伝え、内定にいたったのだという。総合職として入社したのち、仙台支社に転勤となり、工場管理の仕事に邁進する。同僚の男性と結婚したがお互い転勤があり、新婚当初から別居婚となった。 第一子出産後もワンオペ育児を担いながら仕事を続けていたが、東日本大震災で被災し、勤務中に津波に巻き込まれる経験をした。幸い川村さんも保育園にいた長男も無事だったが、車も携帯も流され、関西にいた夫は翌日まで家族の安否がわからなかった。いざというとき家族が近くいる大切さを痛感した。夫の赴任先である関西への転勤を会社に求めたが、「前例がない」と受け入れてもらえず、工場の立て直しが落ち着いた翌年に退職した。 意図に反した退職ではあったものの、転居先でもすぐに仕事をみつけられるだろうと思っていた。ところが、なかなか希望に沿う仕事が見つからない。ちょうどその頃次男の妊娠がわかり、「自主産休・育休期間ととらえて、この機に手に職をつけよう」と気持ちを切り替え、心機一転、簿記の資格勉強に専念することにした。晴れて資格試験に合格し、次男の出産数ヶ月後には会計事務所に再就職した。ところが、保守的な職場の風土が合わず、1年で退職することになる。同じ条件で探しても合う職場が見つかると思えず、育児中でも働きやすい環境を求めて求職活動をつづけたところ、都内のITベンチャーに職を得ることができた。全社員フルリモート勤務という、2014年当時としてはかなり先進的な働き方を提唱している企業だった。入社後1ヶ月で人事職が全員退職 自ら手を挙げて未経験の人事職に条件を満たす職に就けたと喜んだのも束の間、入社後1ヶ月で人事が立て続けに3人退職するという事態が起こった。このとき、川村さんは自ら手を挙げて社長に直談判し、未経験だった人事職を任せられることになる。ーー入社直後に予想外の状況となったにも関わらず、なぜ未経験の仕事に立候補しようと思われたのでしょうか。「入社したばかりで人事担当が一気に辞めてしまい、この会社、大丈夫なのかな…?という不安は正直ありました(笑)。でも、条件が合う仕事はそうそうないのは理解していましたし、この会社になにか課題があるのなら、解決するためにできることを見出そうと考えました。30代で未経験の人事職を経験できるというのもなかなか得られない機会でしょうから、やってみようかと」ーー未経験かつ前任者が全員退職という状況で、どのように仕事を進めていったのでしょうか。不安はありませんでしたか。「不安しかありませんでしたね(笑)。引き継ぎが一切なくゼロからのスタートだったのが、かえって思うようにできてよかったのかもしれません。社長と何度も話を重ねながら、社労士さんにアドバイスをいただいたり、社内の人たちにヒヤリングをしたり。とにかくいろいろな方たちに話を聞きながら進めました」人事・労務の制度がほとんど整っていない状態だったため、勤怠管理の運用や雇用契約書の作成など、法人としての仕組みや制度をひとつずつ形にしていった。 1年かけてなんとか体裁が整ってきたタイミングと、事業の急成長が重なり、新しい人員の採用にも取り組むことになる。ーー採用業務を経験され、どのようなことを感じましたか。「かなりの数の反響があり、驚きました。当時(2010年代後半)、フルリモート勤務の正社員採用はかなり珍しかったのでしょうね。さまざまな事情を抱えてオフィス通勤が難しい状況の方々から、特に多くの応募がありました。育児や介護を担ってらしたり、持病をお持ちだったり、なかにはDV被害を受けている、という方も」事業の成長に応じて順調に採用も進み、川村さんが入社した当時は30人前後だった社員数が、現在では約700人にまで増えているのだそう。このような経験から、「多様な働き方を許容できる環境かどうか」が、川村さんが仕事や企業をみるときの大事な判断軸として、根づいていった。「多様性」をらしさとして打ち出せるよう、整えていきたいオフィスでの川村さん。現在は経営陣との対面コミュニケーションを大事にしており、週2回オフィスに通勤し、残りはリモート勤務なのだそう。その後、ふたたび転職を重ね、川村さんは2020年末、現在の株式会社ALiNKインターネットに入社することになった。人事の責任者というポジションでのオファーだった。社員数は20人弱、専門の知識と経験をもつ社員を採用しながら管理部門を強化し、法人としての仕組みを整えていく段階にあるという。ーー会社の形を整えていくフェーズを、またこれから進めていかれるのですね。「そうですね。代表いわくうちは今『第2創業期』なので、どういう組織をつくりあげていきたいかというような議論を経営陣と日々重ねながら、この会社らしさを人事面でもつくっていけたらと思っています」未経験で人事職に挑戦し、制度設計から採用までこなしてきたこと、また、全社員がフルリモート勤務という環境にいたことも、今の仕事を進めていくうえで貴重な知見となっている。「経験したことはすべて無駄にならない」と実感した。ーー前職でのご経験は、川村さんの仕事観や人事職としての考え方にも影響しているのでしょうか。「これまで当たり前とされた働き方を前提にすると、さまざまな事情で働けない方々が沢山いらっしゃることを知りました。わたし自身も、まさにそのひとりでしたしね。そういった方々にとって働きやすい環境を整えることが、会社としての生産性をあげることにつながることも学びました。日本の労働人口は減少していく一方ですから、そういう対応ができる企業じゃないと今後は生き残っていけないだろうと考えています」ーーこれから、どんなことに取り組んでいきたいと考えていますか。「うちには、正社員で週4時短勤務をしている育児中の女性がいます。そういう働き方が選べる企業はまだまだ珍しく、多様な働き方を受け入れる土台がすでにあるんですよね。『多様性』をこの会社らしさとして打ち出していけるように、もっと制度を整えていきたいです。どんな働き方であってもパフォーマンスを発揮できるよう、仕組みをつくっていきたいですね」編集後記家族一緒の暮らしを優先させるため、川村さんは新卒で入った愛着のある会社を退職したり、リモート勤務にこだわって転職をしたり、自らのキャリアをシフトさせてきた。家族と仕事の両立をするために、難しさを感じることはなかったのだろうか。「あまりないですね。わたしの母はいわゆるバリキャリで、子供がいても女性が働くのは当たり前と思って育ってきたのかもしれません。その頃はまだ珍しかっただろうと思うんですけどね」家事・育児でも苦手なことは自分でやろうとせず、家事代行サービスを利用するなど、どんどん外注する。「はじめての育児が縁もゆかりもない土地でのワンオペだったので、使えるものは何でも使わないとまわらなかったんですよね。家事は全然ちゃんとしてないし、外注することにも全く抵抗がないし、嫌なことは一切やりません(笑)」そうすることで、もっとも大事にしたい「仕事・家族・自分」だけに注力し、バランスをとることができている。「いろいろと過渡期だと思うんですよね。母の世代に比べると、育児しながら働く女性はすごく増えていますよね。これからもっとそうなっていくでしょうし。リモート勤務も、いまでこそどの会社も試行錯誤しつつ導入し始めているけれど、のちに当たり前の勤務形態になって、あの時代はなんでそんなことにみんな困っていたんだろうねってなるかもしれない。面白い時代に、面白い仕事をできているなと思っています」