結婚、出産、仕事復帰と両立・・・女性のライフステージにはいくつかの階段があります。その中で人によっては起業をしたり、あるいは違う形のハードルが現れることも。今回は、そうした女性特有のライフステージの中で、起業と闘病を共に乗り越えたご夫婦を紹介したいと思います。ビューティーパートナー、そして美容師として活躍するお二人が経験した出来事、そして自分たちのお店を持ちどんな変化があったのか。育児、仕事だけではなく、命と向き合った末に出会った自分らしさは、わたしたち【Molecule(マレキュール)】世代にも通じるところがきっとあるはずです。大山あずささん(右)|福岡県出身、ビューティーパートナー。メイクとネイルをメインに、お客様の美にトータルで寄り添う。福岡の専門学校卒業後、東京の美容室にメイク専属スタッフとして従事。第二子妊娠中に、夫・圭介さんとともに自店舗である「アイラシク」を共同で開業。7歳の男の子、2歳の女の子のママ。 大山圭介さん(左)|千葉県出身、ヘアーカット・ヘアーアップをメインとした美容師。東京の美容室でプロのスタイリストとして経験を積んだ後、地元の千葉で開業。妻・あずささんとともにお客様の人生に寄り添う空間・サービスを提供する。コーヒー好きが高じて自家製コーヒーのカフェも不定期で出店。美に関わるお客様の人生パートナーになりたい!―美容室をご夫婦で営まれていますが、仕事とやりがいについて教えてくださいあずささん:ビューティーパートナーとして、主にメイクとネイルを担当しています。お客様が普段楽しんでメイクできるレッスンや、ヘアースタイルに合わせてより完成度を上げる提案をしています。ビューティーパートナーという言葉は業界用語ではなく、自分で造った造語です。メイクだけではなく美の全般に関わってお客様の人生に並走したい、という思いから生み出した肩書きです。圭介さん:僕は美容師としてヘアーやヘアーアップを担当しています。この仕事に就いてもうかれこれ16年くらい経ちます。お客様と人間同士の付き合いになって、人生に携われるところがやりがいですね。お店でのメイク風景あずささん:この仕事を目指したきっかけは、小学生の時メイクアップアーティストの仕事を知って、大好きだった安室ちゃんにメイクできたらとミーハーな夢を抱いたことが始まりです(笑)高校卒業後は大阪の専門学校に進学するつもりでしたが、母に病気が見つかり、余命が数ヶ月とわかって・・・学校も決まっていましたが泣く泣く大阪行きを断念。その時、友人から福岡の学校を勧められて姉と見学に行きました。そこでみた先生や先輩が本当にカッコイイ!と思い、福岡で進学を決めました。 就職は撮影関係を希望していたのですが、先生から先ずは美容業界を知った方がいいとアドバイスが。ちょうどメイクとヘアーの両方を重視する東京の美容院が、メイク専属スタッフを探していると聞き、親にも相談せず上京を決めました。そこではタッチアップメイクと言ってヘアー後のお直しを一日数十人のお客様にしたり、メイク塾や着付けをしたりと、即戦力として入社翌日から働きましたね。出会い、結婚、そして二人で思い描いた理想のお店が形に―結婚、起業まではどんな流れだったのでしょうか?圭介さん:彼女と同じ美容室に同期入社しましたが、ヘアーとメイクで分かれていたので、初め1年は仲の良い同期の一人でした。職場恋愛禁止だったこともあり、公には言えないまま2年経って、僕がスタイリストデビューしたタイミングで、晴れてお付き合いすることに。付き合う前、将来の家族像や仕事観を話したことがあって「この人じゃなきゃダメだ!」とその頃から感じていたので、何があっても頑張れました(笑) 付き合って3年で結婚したものの、当時は違う店舗に勤務していて休みがずれ、なかなか夫婦の時間が取れない生活でした。二人の時間を大切にしたい思いが強かったですね。あずささん:私も二人の時間を大切にしたい思いもありながら、子どもについて話しているうちに自然と一人目を授かりました。育休から復帰したものの、メイクアップアーティストになって10年、これからを考えた時「このままでいいのかな」という思いがありました。圭介さん:僕の中でもこの先のことを考えた時、職業柄、週末が休めないのでいつかは両親のいる地元の千葉で、自分たちのお店を構えたい思いは結婚前からありました。両親の年齢などを考えて、一人目が保育園の間に地元に戻ると決めました。―お店を持つと決めてから、どう形になっていったのでしょうか?圭介さん:先ずは土台作りが必要でした。お店にとっては彼女のメイクが重要とはわかっていましたが、お客様との関係を築き易いヘアーから始めて、僕が土台を作ることにしました。とは言ってもいきなり自分の店を持つのではなく、千葉の美容院で修行しました。あずささん:自分たちの店の形は、「夢ノート」に描いてあったんです。実は私の父が厳しくて、結婚前の同棲に猛反対されて。同棲するなら将来の計画を描いて見せるように言われ、そこで結婚、出産、お店を持つ時期と、お店のイメージを描きました。夢ノートを定期的に開いては、二人でどうしようか決めていましたね。結婚も、「あ、もう結婚の時期だからしないと!」と決まりました(笑)そうして歩んでこれたのも九州男児で真面目な父のお陰とも言えます。千葉に引越して私はエステの仕事を始めたのですが、子どもがいて週末働けない制約もあって、美容関係からは一旦離れ電気屋さんで働くことになりました。その当時、修行中の圭介さんは毎日疲れ果てていて、全然幸せそうではなくて・・・それなら自分たちのお店を開こうという流れになりました。会社員が長かったので、「大丈夫かな?」という思いもあったのですが、すぐに候補地が見つかって一気に動き始めました。そのタイミングで二人目の妊娠がわかって、お店をゼロから生み出しながら子どもの出産も同時でした。でも二人でやっているから、一人じゃないと思えました。お店の壁紙や床の色を決めて、思い描いた理想のお店が形になっていく・・・ワクワク感の方が大きかったですね。―マタニティライフを送りながらの開店準備だったのですね!お店の名前の由来は何でしょうか?あずささん:お店の名前である「ilashikü(アイラシク)」はめちゃくちゃ話し合って決めました。「わたし」という言葉を入れたかったので、イタリア語で調べたり、とにかく「わたし」にまつわる言葉を調べまくりました。お客様もそうですが、自分たち自身も、「わたしらしさ」を立ち返って考える時間も増えました。圭介さん:自分たちがお客様に対してどうありたいか、何ができるのか、アイディア出しを繰り返しました。お客様のパートナーであり、人生そのものに寄り添っていきたい、お客様自身がどうやったら自分を好きで自信をもてるのか?一人称の「i(わたし)」にしっかりフォーカスしていこう、そこから「わたしらしさ」って、という風に決まりました。お店のホームページより。二人で生み出した大切なお店の名前いよいよお店がオープン、そして間もなく病気とわかり―オープンして、その後は順調だったのでしょうか?あずささん:2019年5月、無事アイラシクをオープンすることができました。その半年後にコロナが流行しましたが、マンツーマン対応だったこともありそれほど影響を受けずに済みました。その夏、私は電気屋さんに産後復帰したのですが数ヶ月で辞め、お店に立つ準備を始めました。でもその年末、首のしこりが気になって検診にいったら、ガンがあることがわかりました。先生がものすごく深刻そうにお話しされて大きな病院を紹介されたので、「もうダメなんじゃないか」と一瞬、死がよぎりました。その横で圭介さんが、「すごいよね、こんな経験ないよ!得したね」と開き直っていて。私が死ぬなんて全く思っていない姿に、ものすごく支えられました。思い返すと、病気について調べて落ち込みそうになったり波はあったのですが、ずっと変わらない彼の姿に励まされていましたね。圭介さん:2021年3月に手術をすることになったのですが、主治医から話を聞いて治ることがわかったので、僕の中では心配はなかったです。それよりも体を切る負荷が大きいことがありました。二回の出産、育児、復帰を経験して、やっとやりたいことができるタイミングで病気がやってきて・・・でも死に至らしめる程の大病ではなくて。身を切る経験って普通なかなかないことで、似たような経験をした人の気持ちがわかる。それは得でしかなくポジティブなことなんだと、彼女とも話しました。あずささん:そうやって声をかけてくれるから、病気だけをみるとならない方がいいし、悪いことかもしれないけれど、与えられた試練で意味のあることだと、自分でも思えるようになりました。手術後は、痛みから新生児みたいに首を動かせず、寝返りも打てませんでした。でも自分が実際に身を切る経験をして、傷跡の嫌な気持ちといった深いところまで理解してお客様に接するようになって、お店での施術が全く違うものになったと思います。高校生の時に母を亡くして、命に限りはあるとわかっていたつもりでしたが、何となく死は遠い存在で「自分は大丈夫だ」と思っていました。それでもやっぱり、命には限りがあると、2021年は教えられた気がします。「今のまま死んでいいのか?何かを残してきたのか?」と自分に聞いた時に、「まだ死んでられないな」と、改めてお店に立つ前に気持ちを固めることができました。圭介さん:ただその術後に、脳動脈瘤というまた別の病気が見つかりました。まだまだ神様は試練を与えるんだ・・・という感じでした。あずささん:2021年3月に手術して、体調と相談しながら少しずつお店に立つようになっていましたが、5月頃に脳動脈瘤が見つかって、「せっかく手術を乗り越えて生き延びたのに、また爆弾を抱えて・・・」と落ち込みました。でもその時の主治医が、「大丈夫だよ、よく頑張った。こんな小さいのが見つかってラッキーだよ」と言ってくださって、本当に救われました。検査の結果、特に治療は必要なく普段通りの生活を送ることになりました。でも脳動脈瘤と知ってるのと、知らないのとでは全く違うので、これもまた意味があるんだと思えます。夫婦で共に闘病を乗り越えた今だからこそ思うこと―壮絶な闘病生活だったのですね。それでもなおビューティーパートナーとして働くモチベーションはどこにあるのでしょうか?あずささん:そうですね、この仕事を、病気をしたから言ってと辞めるつもりは絶対になかったです。高校生で母が亡くなった時、ホスピスにいて最後に家族で母をお風呂に入れたんです。その時、看護師さんから「メイクしていいよ」と言われました。まだ専門学校に入る前でしたが、そこで母にメイクをした時、「絶対メイクの仕事を辞めない、この仕事で頑張る」と決心したのを思い出して。大それたことは成し遂げられなくても、メイクの仕事は続けたいと、病気を乗り越えて想いが強くなったと思います。―いろいろなライフステージをご夫婦で共に乗り越えた今、思うことを教えてください。圭介さん:最近は二人でやる仕事が増えてきました。新規のお客様はメイクが入口というのがほとんどで、じゃあヘアーもという流れです。彼女の存在が必要とされていることがわかってきました。オープン当初は、メイクを切り口にできるのか?と思う部分もあったのですが、メイクとともにカットをやって仕上げる形が好評です。トータルでお客様を美しくする、アイラシクらしい仕事ができ始めた感覚があります。あずささん:お店の名前のアイラシクの由来である「わたしらしく」を考えるのにはまってしまって、自問自答を繰り返す中で、自然と自分の好きな事を思い出したんです。それがアイラシクのお店そのもので・・・好きな空間がここにあって、好きな人がいて、大好きなお客様が綺麗になって喜んでくださって、私自身それがすごく楽しくて。「わたしはやっぱりここが好き」という感覚がはっきりとあります。なので二人でお客様を美しくするために、これからもアイラシクを続けたいです。本当に命には限りがあるから、やりたいことをやるのが一番だと今は思います。アイラシクについてはこちらホームページInstagram編集後記今回お二人への取材を通じて、乗り越えてきた出来事そのものの大きさはもちろん、一つ一つの課程でお互いの想いやペースを思いやりながら、支え合いながら歩んで来られたことがひしひしと伝わってきました。その軌跡が「アイラシク」のお店に詰まっていて、一人ひとりのお客様と日々向き合っている・・・わたしらしい生き方をあずささんも、圭介さんも体現されていると思いました。そして、ふんわりとした優しい雰囲気のあずささんですが、実は母親の死や、自身の闘病をも乗り越えた後に、子育てと本当にやりたい仕事を両立されている今の姿に、そこはかとない生きる強さを感じました。