順天堂大学病院総合診療科・医師、医学博士の斎田さんは、順天堂大学卒業後、三人の子育てをしながら大学病院総合診療科に10年以上勤務していた矢先、ご主人のイタリア研修に伴い、自身もある理由から一年間医師を完全に離れ、子供たちと共にイタリアで暮らすことを決意したそう。日本に戻った今でも医師を続けながら、イタリアで学んだ分子栄養学による「予防食」普及の活動をしています。家族みんな医者で、私も主人も医者。いわゆる日本のレールをたどって生きてきた。でも絶対海外でまた暮らしたかった。―現役医師というキャリアがありながら、なぜ海外に行かれることを決断したのですか?自分のキャリアより、自分や子供たちがそこで経験出来る事の方が、ずっと大事だと思ったからです。私は、総合病院を経営する医者の家に生まれました。おのずと、用意された日本の教育のレールに乗って生きてきたのですが、小学校一年生の頃、父の研究の為にベルリンで暮らしたことがあって、それがとても楽しかったのです。自転車で学校に行って、帰りには寄り道してお菓子を買って。同じクラスには体が二回りもくらい小さい子がいたけれど、みんな自然とその子をサポートしながら一緒に過ごしていました。余りにも自由にのびのびさせてもらったので、日本の小学校に通い始めたときは、カルチャーショックもありました。例えば、初めてのテストで堂々とカンニングしてしまったこととか。テストは、みんなで協力して解いていく共同プロジェクトのようなものだと思っていたので、何のためらいもなく他の子の解答を映しました(笑)個人の理解力や学力をそれで測ろうとしているなんて思いもしませんでした。いつかまた海外で暮らしたいと熱望するうちに、チャンスがやってきました。主人は膝を専門とするスポーツドクターですが(注:ご主人の齋田良知さんは旧なでしこジャパンのチームドクター)、イタリアのACミランというサッカーチームで一年間勉強したいという話を聞き、二つ返事で「一緒に行く!」と決めました。―実際イタリアで暮らし始めて、いかがでしたか?とても楽しかったです。今まで培ってきたものが通用しない分、裸の自分になれたのが良かったと思っています。職業を聞かれて「医者です」と言ったところで「ふーん・・」という感じ(笑)。その先の「専門は~です」とか「~を研究しています」というところまできちんと説明しなければ認められないのです。肩書とか出身の学校の偏差値でなく、「その人」そのものを見て向き合うという文化なのだと思います。日本はまだ尚、外国に比べたら安全だし、一般的な道徳教育は浸透していて、「相手に自分を寄せられる」のが上手なのだと思います。でも時々自分を寄せすぎてしまって自分を伸ばせなくなってしまう。「今までで一番嬉しかったこと」が「受験に受かったこと」や「就職できたこと」と答えるのは、偏差値や肩書で判断される社会の中にいるからこそです。私はイタリアで「食」を研究したかったのですが、その意味でも貴重な体験になりました。イタリアでは、夜カプチーノを飲ませてくれません(笑)。レストランで注文しても「ダメダメ」と。どうやら夜に牛乳を摂ってはいけない、ということらしいです。「君は医者なのにこんなことも知らないの?」と言われたりして。確かにこれは漢方も同じなのですが、イタリアの食生活にも健康であるための秘訣が文化として根付いています。日本では長生きすることに重きを置きますが、イタリアは寿命の長さではなく、「年を取った時の幸福感」にこだわります。そしてその幸福感は自身の健康によるところが大きいのです。医者が患者さんに向き合っていく姿勢に関しても、学ぶところがありました。―イタリアでの日常生活を教えてください。旅行を沢山して、出会えるもの、経験出来ることを思う存分堪能したと思います。基本は家族単位での行動ですが、やはりヨーロッパなので、夫婦単位で行動することも多かったです。子供たちが学校に行っている間は、食や料理、趣味の手芸にも時間を割けました。とても贅沢な時間だったと思います。 ―イタリアで「裸の自分」になったことは、プラスになりましたか?素晴らしかったです(笑)いろいろな経歴のブランドみたいなものを捨てられて自由でいられました。小さいころから、周りには肩書きの「偉い人」がたくさんいたけれど、子供心に「つまらないなぁ」と思っていました。イタリアで暮らし始めたばかりの頃は、右も左もわからない。言葉もカタコトで、最後は「赤ちゃん」状態です。そして人に助けてもらいながら生活しましたよね。これをやるべきだ、とかこうするべき、とかいう箱が何も用意されていない。だからこそ、「自分が何か好きなのか」を問い続けられることが出来るようになった。みなさんにもぜひ「日本脱出」をすすめたいです。―また海外で暮らしたいと思いますか?思います。次回はぜひ、自分で仕事をして暮らしてみたい。先ほどいった「裸の自分」になってそこからどこまで行けるか、試してみたいと思います。一年だけだと、楽しいことばかりで終わってしまった面もありますので。―では今は、次回「日本脱出」への準備期間ですか?そうかもしれません。今はいろいろ挑戦して見定めていく期間だと思っています。私はやはり医者であって、病気を治して、人をケアしていくということが好きなのです。特に女性のケアに注力したいです。例えば、漢方とかアユールヴェーダなどは女性には効きますが、男性にはさほど効きません。だから女性には女性の治し方が存在するのではないかと思います。今勉強しているのは「量子力量学」です。 ―医師として、三人の子供の母として、とても忙しい毎日を過ごされていると思います。時間の使い方で工夫されていることはありますか?週に一度2時間だけお手伝いの方に来てもらいますが、それ以外は自分でこなしています。どんなに忙しくても大変でも、私は結局自分でやりたいのだと思います。朝食も子供たちは3人別のものをリクエストしますので、それぞれ別のメニューを作ります。「早くしてよー」なんて急かされながら(笑)もちろん冷蔵庫に食材が無ければ、希望のものが用意できないこともありますけど。―Molecule(マレキュール)の読者にメッセージをお願いしてもいいですか?海外に行くかどうかは、結局はタイミングが合うかどうかが大きいと思います。家族単位で考えなくてはいけませんし。私の場合はたまたま、主人を通してそのチャンスをもらえたけれど、なかなか実現できない場合の方が多いと思います。 でも「子供がいるから難しい」ではなく、子供がいるからこそ、体験させてあげてほしい。言葉にすると当たり前だけれど、そこで培うことは自分で体験する以外に取得する方法はないのです。本でもネットでも伝えられません。個人的には、子供も小さいころのほうがよい、ではなく、ちゃんと記憶に残って、且つ屈託なく異文化を受け入れられる小学生くらいがいいと思っています。私にとってベルリンで過ごした一年間がそうであったように、ミラノの一年間が子供たちのかけがえのない記憶になると確信しています。最終的には自分がどこにいようと自分が幸せだと思ったら幸せです。それに自分が何をしていようと誇りを持つべきだと思います。職業に貴賎なし、自分の好きなことを見つけてそこを目指すべきです。自分だけの「好きな事」を追求していけるように、どんどん「出会い」を求めて考えたり動いたりするといいと思います。