突然ですが、【Molecule(マレキュール)】をお読みの皆さん、小さい頃の夢って何でしたか? その夢は叶いましたか…?「テレビ局の記者になる」という幼い頃の夢を叶えながらも、取材先からのセクハラが原因で退職。一時は死ぬことまで考えたという、米田久美子さん。前編のインタビューからは、どれだけ苦しくてもほんの少しの希望を胸に、行動し続けることの大切さが伝わってきました。後編では、天職と思える今の仕事について、そう思えるようになるまでの紆余曲折と、そこから得た、人生を切り拓くためのヒントをお届けします。株式会社アドバンテッジ リスク マネジメント 研修講師・米田久美子さん。新卒で小さい頃からの夢を叶え放送局記者となるも、取材先からのセクハラが原因で精神的に追いつめられ退職。現在は心の知能指数とも呼ばれるEQを扱う会社で研修講師として活躍。6歳と3歳の男の子育児中。 EQという人の心を扱う会社に入社 始めはやりがいを持たずに働き始めた―当時お付き合いをされていた方(現在の夫)が住んでいた東京に出てこられて、お仕事は何をされていたんですか?記者の仕事って潰しがきかないって思ったんですけれど、法人営業と少し近いんですよね。人前に立つのも慣れている、ということで、研修も行っている会社(現在勤める株式会社 アドバンテッジ リスク マネジメントの前身)に入社することになりました。メンタルダウンしてしまったことも正直に話して受け入れてくれた会社には、恩義を感じています。でも正直言うと、当時、やりがいは持たないようにしよう、と考えて淡々と営業の仕事に取り組んでいたんです。―やりがいを持たずにってどうしてですか?仕事にやりがいを持つことに恐怖があったんですよね。やりがいを持つと傷つくかもしれないって。本気にならなければ傷つくこともないだろうと。でも、仕事に対して主体的にならないと人って不満が溜まってくるんですね…。子供を産んだら辞めようと思っていたくらい、受け身で、残業もせずに働いていました。―その考えが変わったのはいつですか?育休中に、子育てですごく行き詰まりを感じたんです。子供は可愛い、けれど、これまでありがたいと思っていなかった、仕事と向き合う時間が自分には必要だと感じるようになりました。そして同時に、自分がもっとコミュニケーションをうまくとれていたら、職場の上司とも、取材先の人とも良い関係を作れたんじゃないかと考えるようになったんです。 こういう痛い目に遭わないためにも、職場のコミュニケーションを円滑にする、自社が提供しているサービスは素晴らしいと思うようになりました。その後、営業としての仕事にも打ち込むようになり、社会人13年目にして初めて、仕事をやりきることでの喜びを感じました。天職だと思える“研修講師”という仕事を手にするまで―今は、営業ではなく研修講師として、中小企業庁と一緒に社会人基礎力を身に着ける講座を開催するなど、ご活躍ですが、そのことについてはどう感じていますか?実は1年ちょっと前に、社内の研修講師養成講座に参加した時には、落ちこぼれでした。今の米田さんに紹介できる案件はありませんとまで言われて…。でも、どうにかして講師になりたいと考え、社外の学びの場に参加するなど自己研鑽を重ねてきました。一時期は、このまま研修講師になれないなら会社を辞めようと、真剣に退職も考えたくらい。 その時は、自分を諦めたくなかったんです。―生き生きと講師のお仕事をしている今の米田さんからは想像できないですが、確かにあの頃は悩んでいましたよね…。そこから、自分の手でそのポジションをつかみ取り、今では周りの人からも認められる講師になれたのは、なぜだと思いますか?今している研修講師の仕事は、これまでの自分自身の経験を一つも無駄にすることなく、全て生かせている仕事なんです。営業もしていたので顧客ニーズを掴んだ提案が出来て、放送局にいたのでカメラの前でも話すことが出来る。自分自身のメンタルダウンの経験があるから、説得力を持って伝えることも出来る。そのことに気づいた時、自分でも感動しました。とにかく毎回、皆さんの前でお話ができるのが幸せで、本当に楽しいんです。その思いが伝わって、喜んで頂けているのかも知れません。―一度は夢を失って、辛い時期もすごされた米田さんですが、今のご自身のことをどうとらえていますか?色々な出来事があって、本当に良かったなって。放送局に勤めているままだったら、ここまでの境地にはいたれなかったし、鼻っ柱の強い、いけ好かない女性になっていたかも知れません(笑)今の自分が一番好きです。年々好きになっていきますね。―最後に、読者の方の中には今、辛い思いをしている人がいらっしゃるかもしれません。そんな方へメッセージをお願いします。嫌な出来事って生きていたら沢山起きて、自分から拾いにいかなくても自分の中に入ってくると思うんです。でも、良いことや嬉しいことって、自分から拾いにいかないと入ってこない。だから、どんなにつらくても、能動的に自分が出来る行動を何か一つやってみてください。その時は意味がないように思えることでも、10年くらいたつと、必ず糧に変えられるようになってきます。最後の灯さえ消さなければ、必ず道は拓けます! (米田さんの前編記事はこちら)