こんにちは、櫻井です。4月より長野に移住して初めて息子と夏休みを迎えます。環境が変化していく真っ只中でどのように夏休みを過ごそうか、手探りの1年目です。先行き不透明な中での子育てと仕事の両立や、東京と長野の二つの拠点を行き来する中で、また新しい気づきを得ることができました。私たちの日常を彩る様々な色はどのように生まれていくのか、【Molecule(マレキュール)】読者の皆さんと紐解いていきたいと思います。ペースがつかめたころにやってくる最大の試練、夏休み4月からの長野への移住は、東京に片足を突っ込みながらの生活という感じで、週に数回都内に通いながら二拠点での活動です。都内の仕事、長野での仕事、それに合わせて場所を選ばずにできるリモートワークやオンラインでのヨガ教室運営の三本柱が私の主な仕事となっています。自分の仕事の配分、子どもの居場所、習い事や学校との関わり、いろいろ試しながらなんとか毎日のペースがつかめたかな、というところで1年の内の最大の懸念材料だった夏休みがやってきました。1年目の夏、どのように乗り切ろうか、行き当たりばったりの1か月が始まったのです。試練は早速やってきます。私が仕事の間の小学校二年生の息子の居場所、学童問題。少し離れた場所の学校に通っているため地域の児童館での学童には友達が少なく、息子はちょっと寂しい様子。さらに毎日学校で自然の中広々と過ごしている彼にとって、学童の決められたスペースでの遊びは不満げでもあり、選択肢としては早々に消えてしまいます。では、通っている学校の学童はどうか?というと、私たちが通っている学校の学童は、有志の保護者が運営するスタイル。内容も地域ならではの特色を生かした活動で、とても魅力的。ぜひそこにお願いしたい!ただ、そこにひとつ問題点がありました。 都内に行く日には7時台の新幹線に乗らなければならず、スクールバスのない夏休み中は送迎の時間に間に合わないのです。ピンチすぎる!自分だけではどうしようもないことに気づいた夏学校までの送迎を自分ですると、車で往復1時間かかります。もうこれは、どうしようもなく無理なのです。自分だけで夏休みを乗り切ることはできないと、腹をくくる必要がありました。そんな時に同じ学校に通う保護者達同士で、助け合いの提案が…送迎の時間が間に合わない同じ境遇の保護者同士で、それぞれができる日を分担しようということになったのです。都内で学童に通っていた際には、息子は勝手に学童に行って帰ってくるスタイルで、周りの働いている保護者達とはほぼ顔も合わせることはありませんでした。まあ、ドライな毎日を送っていたわけです。ですから、助けを求めることもできないし、助けを求めようとも思いません。何かがあっても自分でどうにかしなきゃ、と当たり前のように思っていたのです。それに対し、現在通っている学校は対話を重視しているスタイルで、保護者同士の関わりも前よりも密に行われます。移住者も多く、みんなが初めての夏を迎えるわけです。顔が見える相手が困ったときはお互い様、そんな行動が自然と私たちの中で生まれたのです。 それぞれができることをする、その「できる」はPTAの役員決めのように誰かに無理強いされるものではなく、とても自発的なものです。貸し借りがあるものではなく、お互い様のもの。私自身も、誰かが困っていたら助けてあげたいと思ったし、困っているから助けてほしい、と素直に頼むことができたのです。この体験は、自分の中でとても衝撃的なものでした。誰かに頼ることは、こわくない私は、誰かに頼ることにとても抵抗がありました。迷惑をかけてはいけない、お返しに何かをしてあげなければいけない、そういうプレッシャーを感じ、できるだけ自分自身で物事を遂行することを心がけていました。反対に言えば、自分だけがやらなきゃいけないなんて損だ、とかなんで私がこの作業をしなければいけないんだろう、とも思っていたのでしょう。だからできるだけ、他人と関わらなくてもいいよう、そのような機会を避けながら過ごしていました。でも、移住をしたことで出会った同じ仲間たちと学校を通じて関係を持つ中で、自然と自分のできることを誰かに対してやりたいという気持ちになったのです。あんなに恐れていた誰かに頼ることも、抵抗なくできるようになったのです。対話をするということは、無理やり何かを押し付けることも押し付けられることもありません。そんな学校の風土が、そのような気持ちを促したのでしょう。そもそも学校の学童が有志の保護者によってそのように運営されているのです。この保護者同士の関りあいで、どんなに気持ちが楽になったか、どんなに安心したかは言うまでもありません。私たちは自分だけではどうにもならないことがたくさんあります。そんな時は助け合って過ごせるんだ、と身を持って体験したのです。仕事をコントロールすることで得た自由とはいえ、頼りきりになるだけでなく、自分で出来ることは自分でどうにかする努力が必要です。この移住に先駆け、仕事を少しずつ変化させてきました。場所と時間に縛られることなくできるようにシフトしていったおかげで、仲間にフォローしてもらう時間を最低限にでき、さらに融通を利かせて誰かのフォローに回ることもできました。 仕事の量ややり方をコントロールできるようにしておくことで得た時間と場所の自由によって、どっぷりと東京と長野をまたにかけることが可能となったのです。それぞれ半分ずつの滞在で、その違いをよりはっきりと感じられる時間になりました。長野では自然豊かな環境で、ゆったりとした日々を満喫できます。通っている学校の学童の活動も、お小遣いをもって地域の商店におやつを買いに行ったり、近くの川で遊んだり、学校が管理する畑で収穫を行いジャムを作るなど、そこでしかできない体験がたくさんありました。東京で生まれ育った息子にとってはどれも新鮮な経験で、きっとこれからもかけがえのないものになるでしょう。 そのような毎日を過ごしてから戻る東京は、今までとはまた違った視点で見ることができたようです。「東京は○○が素敵だね」「長野では○○だなあ」と、当たり前に思っていたものを違う角度で見ることができます。この多面的な目線は自分が何かを選ぶうえで、物事をより明確に理解することは欠かせません。自分がどんな毎日を送りたいか、を選ぶことにおいてよりその輪郭をはっきりさせてくれるものでもありました。どっちがいい、じゃなくて、どっちもいい私が長野に完全移住せずに、東京と二拠点で活動している理由の一つとして、どっちも味わいたい、というものがありました。 自然豊かな環境も素晴らしいし、充実した多様な情報にふれることも素晴らしい。移住というと、なんだか都会を捨てて地方にどっぷりというイメージがどうしてもありますが、私はそのような移住を選びませんでした。どちらかを捨てる必要はない、自分にとって最適なバランスは自分で決めていいのです。夏休みのハイブリッドな生活で、その思いが強くなりました。それぞれには違う良さがあって、違う役割がある。だから、その時ごとに目的に合わせて選んでいけばいいんだと。黒か白か、じゃなくてグレーでいいし、さらに他の色があればあるほどより自分の理想の色に近づくはずです。そしてそれは自分で見つけるだけでなく、誰かと分け合いっこしたっていいのです。支え合いを体験した夏休みのあれこれで、私たちの日常に新しい色が加わった気分です。色の作り方は無限大自分らしい毎日の過ごし方を作るために、どんな色にしたらいいか、その好みの配合は人それぞれです。多面的な視点でその色の個性を理解し、少しずつ混ぜ合わせる。そんな風に毎日をデザインしていけば、その作り方は無限大です。そしてそこには周りの温かい人たちのいろいろな色が入り混じります。私たちにとってのとても大切な気づきがそこにありました。私たち、周辺の環境、それを取り囲む人たち。その重なり合いで日常の色は出来上がります。自分ひとりですべてをやりきろうとしていた今までの日常は、モノクロで出来た世界のようにシンプルながらも少し寂しさもあったのかもしれません。そこに支えてくれる人々の色が重なることで、より深みのある温かい日常が出来上がっていったのです。私たちは支え合いながら生きている、そんなことを実感した1年目の夏。私も、だれかの日常の色を彩る存在でいられるよう、他者との関わりを楽しみながら進んでいきたい!そんな気持ちもさらに強くなりました。関わりは、誰かに強制されるものでなく顔の見える対話から自然と生まれるもの。そしてそれは必ずしも地方だからできるものでなく、どこにでも生まれうるものです。皆さんの日常は何色ですか?どんな色にしていきたいですか?私たちは色々な人たちと支え支えられながら、残りの1年の色をまた作り上げていきたいと思います。こちらの記事もどうぞ!ライフスタイルに合わせて仕事を「選ぶ」から「作る」へ