「芸術」というと何を思い浮かべますか?美術館、演劇、クラシックコンサート・・・人によって捉え方は様々だと思います。でも実は、季節の移り変わり、子どもの落書きや毎日作る料理さえ、意外と私たちの身の周りに「芸術」はあるものなのです。芸術教育士として活躍中の太田さちかさんは、子どもの誕生を機に、日本での子どもが芸術に触れる機会の少なさに驚きます。「ないのならば作ってしまおう!」、そんな気持ちから子ども向けワークショップの活動を始めた太田さん。彼女が子どもたちのキッズクリエイティビティという可能性や暮らしの中の芸術にフォーカスした原点について連載でお届けします。太田さちかさん|芸術教育士、ケーキデザイナー。ワークショップ教室「My little days」主催。10年前から「子どもとママンと地球の未来のために」をテーマに、子ども向けワークショップ教室、大人向けのケーキ教室を展開。ケーキデザイナーとしても、企業・個人を問わずフルオーダーのケーキを手掛ける。雑誌にも多数出演する一方、コラムニストでもある。2018年に出版された著書「メレンゲのお菓子 ブロバ」(立東舎)は好評を得て、台湾でも出版。三人のお子さんのママ。私の芸術の原点、オーストラリアのホームステイ―現在の仕事、芸術教育士とケーキデザイナーについて教えてください。芸術教育士は、「子どもとママンと地球の未来のために」をテーマに、子どもたちが主役になるワークショップを開催しています。「学校・家庭にはない芸術環境を作る、発見する、引き込む」という共通のアプローチで、コミュニケーションを生み出す場を作っています。毎回予想を超えるものができ、私自身、常に子どもたち教えられています。もう一つ、ケーキデザイナーは自分のパフォーマンスの場として、ケーキ・お菓子を題材に表現しています。オーダーいただいたクライアントさんの作りたい世界観を大切に、今までにないもの、もっと美しいものを提案するため、常に挑戦しています。主に扱っているフードの世界にも、ファッションのようにトレンドがあります。塩味が流行っていたり、濃厚なものが好まれたり。でもファッションと大きく違うのは、口に入れること。口に入れた時の生の体験・行為を、芸術という大きな枠で捉えた時にどう表現するかを考えています。メレンゲのケーキ「パブロバ」は出版した本のテーマ。太田さんのインスタグラムでは数多くの作品がアップされています。―太田さんが芸術に興味をもった原体験は何だったのでしょうか?どんな子どもでしたか?おてんばでしたね!祖父母の家が九州の農家だったこともあり、山で遊んだり、田植えをしたり、自然に触れ合って育ちました。両親は特に芸術関係の仕事ではなかったのですが、美術館によく連れて行ってくれました。母は編み物やパッチワークが好きで、あとお菓子の百科事典が家にあって、ババロア作りが得意でした。 何か手を使って作る光景が日頃から家庭の中にあったのだと思います。父はインダストリアルデザインの仕事をしていて、世界中出張に行っていました。出張から帰ると、スーツケースから何とも言えない異国のにおいと、見たことのないお土産が・・・それが楽しみでもあり、世界はつながっていて近いんだという感覚をもつようになりました。芸術を意識するようになったきっかけは、中学の夏休み、オーストラリアでのホームステイの経験でした。 滞在中、現地の学校で「太陽の絵」を描く機会があって、自分はいつも通り赤とオレンジで描きました。でも、オーストラリアの子どもたちは、ピンクや紫、いろんな色で自由に太陽を表現していて・・・「何でこんな色なんだろう?でもこれもキレイ!」と衝撃を受けました。今振り返ってもこの時の経験が、芸術に関わる原体験として残っています。その後、大学までは芸術を学んだことはなく、就職後も趣味でお菓子作りをしたりする程度でした。インタビュー当日の様子。ご自宅にあるアトリエにお邪魔してお話を伺いました。ママになって気づいた「子どもが楽しめる機会」の少なさ―そんな中で、何が転機になったのでしょうか?長男を産んで、初めての育児休暇で、思っていたのとは大きく違う子どものための環境の少なさに気づかされました。 パリにお菓子作りで留学していたことがあって、現地では子どもの世界観なり、子どものための空間がちゃんとありました。ルーブル美術館で子どもたちが寝転がって絵を描いたり、車座になって先生の話を聞いていたり。写生している人たちが街中にいたし、子どものワークショップをするスペースがありふれてあったんです。でもいざ自分がお母さんになって児童館に子どもを連れて行った時、子どもたち自身が楽しめる機会があまりに少なかったんです。さらに子どもを連れて美術館に行くと、ご法度というか、美術館にいる人たちのピリピリした空気を感じて・・・「このままでいいのか?」と、自分の中でやれることを、子どもがいる生活の中で探求しはじめました。「なかったから」そして「やってみたかったから」それが全ての始まり―お子さんの誕生をきっかけに気づいた子どもための場の少なさ。それをどう形にしていったのでしょうか?初めから芸術を仕事にしようと意識していた訳ではなかったです。でも「なかったから」そして「やりたかったから」、それが原動力になったと思います。10年前はホームパーティーやハロウィンも一般的ではなかった。それとママたちが集まる機会も、ベビーマッサージ教室や母子検診ぐらいで、ママと子どもが参加できるコミュニティがとても少ない時代でした。何かをやってみたい、そんな気持ちを主人に話したら、「とにかくやってみたら?やってみないと始まらないよ!」と言われ、その一言にハッとしたんです。難しく考えずに、先ずはやろうと最初の一歩につながりました。一気に会社をおこすというよりも、小さくできることから始めることにしました。ホームページを自分で作ったり、友達の子どもたちを対象にどうすれば必要とされる環境を作れるか、実験的に少しずつやっていきました。 日常にある芸術という対象を深掘りして実現したい芸術環境を考えた時に、一人だとできる範囲が限られるので、アーティストさんと一緒にやってみたりもしました。大人向けケーキクラスも子どもを連れてきていい場にしました。子どもが生まれて閉塞感があることもよくわかるので、可愛いものを自分の手で作って、息抜きの場になるようにしました。起業する前の様子。3人の子どもを育てつつ仕事と活動を両立し続けたバイタリティーは図り知れません。―キッズクリエイティビティに着目したきっかけは何だったのでしょうか?やっぱり中学の「太陽の絵」の原体験のように、本来は一人ひとりの中にある「その人らしさ」が素晴らしいはずです。 でも、学校・家庭という集団生活に入ってしまうと世間体とか、正しい・正しくないが出てきてしまう。システム、サービス、ITといった環境が一律になっていく中で、芸術という立ち位置で「その人らしさを大切にする」ことが大事だと思ったんです。 そして自分自身もその人らしさを大切にしたいという思いに熱量を持っています。仕事を通じて芸術教育士として子どもたちのその人らしさを引き出すのと、ケーキデザイナーとして自分で表現することが、自分の中のいわゆるクリエイティビティや芸術の原点であると思います。 「キッズクリエイティビティ」という言葉は当時なかったのですが、自分のやりたいことを考えた結果生まれた言葉で、10年前から意識していることです。ワークショップの様子。真剣な子どもたちの眼差しはまさにキッズクリエイティビティそのものです。いよいよ活動をスタートした太田さん。でも、悩みや葛藤はなかったのか?実際に活動する中で見えてきたものとは?を後編でお届けします。後編もぜひご覧ください!https://molecule.news/stories/sachikaota-2/関連記事https://molecule.news/stories/ayamuramoto/