2019年1月に公開し、大きな反響があった記事「”子有り”をコンテンツ化 ハッピー未婚シングルマザー見つけました!」でインタビューさせていただいた青柳真紗美さんの連載です。青柳さんの「わたし」を軸にした生き方、考え方は、シングルマザーだけでなく働く子育て女性の【Molecule(マレキュール)】読者にも通ずるものがたくさんあるはずです。どうすれば上手に休めるの?「上手に休む」って、なんて難しいんでしょう。今日はこの「休む」ということについて考えてみたいと思います。今まで「寝れば元気になる」という信条とともに生きてきました。やりたいことは次から次へと出てくるし、時間はどれだけあっても足りなくて。手帳が予定で埋まっているのはまったく苦にならないタイプで、物心ついた頃から「忙しそうだね」と言われ続けて30代になりました。年末年始やお盆などの長期休暇にも、ぼーっとして過ごす時間が苦手で、実家に帰れば断捨離をしてみたり、本を読んでいればブログを書きたくなってしまったり……。とにかく「何もせずに休む」というのが苦手でした。「眠る」は、できるけど、「上手に休む」とも違うような気がして。でも、そんな日々を送っていたらメンタルがボロボロになって、息子が3歳になってすぐくらいの頃に本気で息が詰まりそうになりました。結論からいいます。いろいろ試して私の中で出た「上手な休み方」の一つのこたえは「ありのままの自分に戻る時間」を大切にする、ということです。どこにいったか、何ができたか……といった、「行動」や「予定」によってその時間の価値を決めるのではなく、「どんな姿勢で1日を過ごしたか」を見つめ直すことが、心に豊かさを取り戻す鍵になる。「何かをするか、しないか」ということはメンタルの回復には関係なく、「自分を最大限にリスペクトできたか」が重要なのではないかと思います。 だから、大好きな仕事を思いっきりがんばることでメンタルが回復する人もいるし、田舎のおばあちゃんの家で過ごすことで元気になる人もいる。何をするかは問題ではなく、どれだけ自分を大切にしてあげられたかという軸で日々を振り返ると、「自分なりの上手な休み方」が見えてくるような気がします。「休んじゃいけない」という思い込みかくいう私は、いつも心のどこかで「休まずに働けることが優秀さの証である」と思っていました。仕事をしていない時間が自分にとって生産性の低いものであるような錯覚を持ってしまったことで、自分を不必要に傷つけてきたように思います。子育てがはじまって、仕事にかけることのできる時間は大きく減りました。子どもと遊ぶ時間、ご飯を用意する時間、保育園や習い事の送り迎えの時間、寝かしつけの時間…。そういった時間が長くなればなるほど仕事ができる時間が少なくなっていくような気がして、どんどん「仕事の遅い」人間になっていくような感覚に見舞われたのです。もちろん子どもと過ごすときも、私にとって大切な時間です。だけど心のどこかで「まだあの仕事が終わっていないのに子どもと公園で滑り台なんかしていていいのだろうか」と自分を責める声が聞こえて、お腹のあたりがぎゅーっと締め付けられるような、そんな日々が続いていました。うまく休めない私が自分に課した「5%ルール」精力的に動き回る自分が好きだった私ですが、出産後、やることが山積みの状態が続くと、ものすごくしんどくなって、全てをリセットしたい衝動にかられたことも。 趣味やプライベートの時間で強制的にオンとオフを切り替えられればいいのですが、「考えなくていい」と言われるほどに考えてしまい、しんどくなる日々が続いていました。一番つらかったのがイヤイヤ期。一緒にいるときは常に自分に注目してほしい息子と、自分の時間がほしい私の対立は続き(笑)、イライラした気持ちをコントロールできなくなってきたときに「これはなんとかしないとだめだ」と本気で考えました。そこで、いろいろ試した結果、一番私にフィットしたのが「5%ルール」。よくよく考えてみると、自分が最もストレスを感じるのが「未着手のタスクが溜まっている状態」なのだと気づきました。そこで、なんでもいいから5%だけ進めておく、という風に考えるようにしたのです。 たとえば、明日送る予定のメールの下書きを箇条書きにして保存しておしまいにする、とか、締め切りが迫っている原稿の書き出しと見出しだけ書いておしまい、とか。仕事だけでなく、家事も子育ても同じ。お皿を洗うのが面倒だったら、洗剤を溶かしたお湯に浸けるところまでで終わりにする。洗濯物をたたむのが嫌なら、洗濯機から出して仕分けだけしておく。子どもの相手をする元気がなかったら、Netfrixに頼りつつ主題歌だけ一緒に歌ってぎゅっと抱きしめる。そうしてなんとか毎日を過ごすうちに、力の抜きどころが少しずつ掴めてきたような気がします。ありのままの自分を受け入れられないから「行動」に駆り立てられる前回、産後に突然訪れた自己啓発ブームの話をしました。この頃に吸収したたくさんの知識は今でも役立つところがすごく多くて、うまくいっていないなぁと感じた時に読み返すとその度に発見があります。どの本に載っていたのか、もう忘れてしまったのですが、うまく休めずに悩んでいたとき、ふと開いたページに「ありのままの自分を受け入れられないから行動にばかり駆り立てられてしまう」と言う一節がありました。私が、「休む」=「ありのままの自分に戻る時間」と考えるようになったのは、この考え方がきっかけです。確か「罪悪感」について書かれた章で、私たちは罪悪感を感じているときに最も自分を特別視できる、と言う趣旨のことが書かれていました。まさしくその時の自分を表していて、恥ずかしくなったのを覚えています。子育てだけではなく、世の中には心を消耗することがたくさんあります。家族のこと、パートナーのこと、職場のこと……。いろんなことを「うまくいっている」状態にしたい私たちは、どうしても手や口を出したくなってしまいます。自分がこのアクションをとれば変わるかもしれない、この仕事を終えればもっと認めてもらえるかもしれない。そういった期待の裏側には、「行動しない(できない)自分に価値はない」という考えがあります。価値がない自分になることを恐れて、常に自分の時間を行動で埋め尽くそうとするのです。心のバランスが取れていて仕事ができる人たちは、必ずといっていいほど、自分の至らない点を受け入れています。100%受け入れることができなくても、どこかで何とか折り合いをつけて生きています。この折り合いがつかないと、甘えられない、失敗できない、責められることを過度に恐れる、といった症状が表面化します。そうなってしまうと人間関係にも影響が生じ、理想の人物像からは遠ざかる一方で、いつまでたっても「ほっとできる」時間を手に入れることはできないでしょう。「ありのままで」ってどういうこと?上手に休むためには「ありのままの自分に戻る時間」を大切にすることが必要だと書きました。でもこの「ありのまま」って実はすごく難しい。「ありのままの自分を受け入れる」、すなわち「自己受容」は産後、向き合ってきた大きなテーマの一つでした。まだ腹落ちしきっていない部分も多いのですが、今のところ見えてきたのは「周囲のことを脇に置いて、自分自身を最大限にリスペクトする」ということです。これはなにも「後先考えずに欲しいものを全部買う」とか「やりたくない仕事を放り出す」というような、今の感情を優先させることで未来の自分を攻撃するような類いのものではありません。変わることに執着しないこと。「このままでもいいや」「このままにしておくことで学ぶことがたくさんある」と考える癖をつけること。これが、自己受容への第一歩だと考えています。私はずっと、良い・悪いをすぐに判断する癖がありました。この判断を毎日繰り返していくと、一定の確率で「悪い」ことが目につくようになってきます。そうなると次に生まれるのは「変えなきゃ」という意識。その意識は他者にも派生して、相手を変えたい、環境を変えたい……と広範囲に広がっていきます。これが曲者で、「悪い」という判断のもとに生まれる「変えたい」という欲求には、自分視点での正義感だけが燃え盛っている状態で、対象へのリスペクトが無いんですよね。 リスペクトを欠いた状態でのコミュニケーションほど、つらく不毛なものはありません。もちろんこうなると人間関係もうまくいくわけはありません。状況を好転させたいはずなのに、しんどいサイクルに陥っていきます。 逆に言えば、リスペクトをきちんと保てていれば「変えよう」と思わなくても勝手にいい方に変わっていくのです。まず、「良い・悪い」の判断を一度脇におきます。その上で、その物事や人(あるいは自分)に寄り添い、それらに対して今自分がどんな態度を取っているのかを客観的に見つめてみます。例えば部屋の模様替えひとつ取ってもそう。「こんな家、別に好きじゃないけど、引っ越すのも面倒だから気分を変えるために模様替えしよう」と思いながらするのか「大切な場所だからもっと心地よく暮らしたい」と思いながらするのかでアプローチは違うものになりますよね。先ほど書いた5%ルールも、なぜうまくいっているかといえば、自分を変えようとしていないからだと思います。 何かを無理に変えようとするのではなく、できる範囲で自分を満たしていく。こうした「自分の人生に対する前向きな姿勢」を少しずつ積み重ねながら生きていけたら、私たちはもっと豊かな時間の流れを実感できるようになるのかもしれません。次回は「乾いた感受性を取り戻す」というテーマで考えてみたいと思います。