2019年1月に公開し、大きな反響があった記事「”子有り”をコンテンツ化 ハッピー未婚シングルマザー見つけました!」でインタビューさせていただいた青柳真紗美さんの連載です。青柳さんの「わたし」を軸にした生き方、考え方は、シングルマザーだけでなく働く子育て女性の【Molecule(マレキュール)】読者にも通ずるものがたくさんあるはずです。「自分の感受性くらい」ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 茨木のり子 / 詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収・「現代詩文庫」思潮社にも収録この詩を初めて知ったのは高校生の頃。久しぶりに思い出したのは、息子が3歳半を迎える直前でした。 色々な人間関係の中で、母としても女性としても自信をなくす出来事が続いていて、息子や自分との向き合い方を改めて模索していた時期でもあります。仕事でもプライベートでも自分なりにベストを尽くしているつもりだったけれど、私が必死に見つめていたのは「私以外」のことばかりで、自分がどう感じているのか、自分がどう生きていきたいかが見えなくなっていたように思います。「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」。 ずっと無視してしまっていたもう一人の自分にガツンと叱られたような気分で、少し落ち込んだのを覚えています。感受性とは、大辞林によると「外界からの刺激を深く感じ取り、心に受けとめる能力のこと。( 「 -が鋭い」 「 -が豊かだ」)」 感受性が強すぎて生活に支障が生じてしまう人のことをHSPとも呼んだりしますが、人間の人生を鮮やかに彩る大切な資質の1つだと思います。その人ならではの「美意識」や「ポリシー」につながるものだと私はとらえています。これがなぜ必要かといえば、感受性が鈍くなっていくと「幸せを感じる力」が弱くなっていくからです。感受性を失った「ぱさぱさに乾いた心」。茨木のり子さんはそれを「ひとのせい」にはするな、と読み手を、あるいは自分自身を奮い立たせています。……わかる。人のせいにしても何も始まりません。でも、一体どうしたら心に潤いを取り戻せるのでしょうか。 私は「問い」と「旅」がその手助けになってくれると考えています。感受性を取り戻すために「なぜなぜ期」に戻ろう昔から、心がパサパサだなぁと思ったとき、私が最初に行うのは自分へのインタビューです。 今回「乾いてるなぁ…」と気づいたときも、1週間くらいかけてインタビューを続けました。「今日はどんな1日だった?」「次のお休みには何をしたい?」といったカジュアルな問いからスタートして、それらに対して時には「なぜ?」と掘り下げていきます。私たちは気を抜くとすぐに「やらなければいけないこと」に囲まれてしまいます。だからこそ、他人の目を全く気にしない状態で「本当にやりたいこと」「今の自分が求めていること」に向き合う時間が必要なのです。子どもを産んで初めて気づいたのですが、その時に最高のお手本になったのは子どもたちの視点でした。 小さな彼らは常に世界に対して問いを立てています。4歳になる息子も例外ではなく、いわゆる「なぜなぜ期」に突入しました。家の中でも街の中でも、どこにいても「なぜ?」「なに?」を見つけてきます。みずみずしい問いの力を持っている人は、男女問わずとても魅力的に見えます。きっと、その問いの先に広がる世界が魅力的なものだと、私たちは本能的に理解しているのでしょう。雨上がりに紫陽花の葉の上に転がる露をみては「宝石みたい!」と微笑み、次の瞬間には道端で見つけたダンゴムシがどこに帰っていくのかを見守り。小さなチョコレート一粒で幸せそうな顔になり、ベッドで毛布に包まれながら今日の嬉しかった話をしてニコニコ。そんな息子を見つめていると「私は何を見ていたんだろう」「何を知った気になっていたんだろう」と、ハッとさせられることが多々あります。 目の前にあったのに見つめることができていなかった幸せを、息子の視点を通じて一つずつ自分の心に取り戻すような新鮮な感覚を何度も味わいました。他人ではなく、自分について考える「問いを立てる力」は、子どもたちの学習スキルの中でも重要視されています。でもこれは大人にとっても同じ。むしろ生活に追われがちな忙しい現代人にこそ、必要な力だと思います。インターネットが普及したおかげで、私たちが「答え」を見つけるスピードは格段に早くなりました。今晩の夕食のレシピも、近所のレストランの口コミも、かつては「誰かに聞く」「書物などで調べる」というアクションを経て入手していた情報が気軽に、一瞬で手に入る時代です。だからこそ、問いの質がそのまま人生の質に直結してしまうような、そんな時代を生きているんだと思います。 問いの質を考える際に私が心がけているのは、他人ではなく、ひたすら自分について考えること。仕事のやりがいを見失ったときは「自分はなぜ働くのか」「何のために働くのか」を掘り下げていきます。子育てに息が詰まりそうになったときは「どんな子に育って欲しいか」ではなく「どんな親でいたいか」を考え直すことで、自分なりの子育てを取り戻すことができます。同じような問いを立てたとしても、答えは毎日のように変わります。以前の自分が出した答えににとらわれすぎずに「その時の本当の気持ち」に正直に向き合うことが大切なのだと思います。うまく答えられないという場合は、まずは「自分の心が閉じていないか」を再確認することが必要な時期なのかもしれません。私の場合、わかった気になっている時は集中して考えることができません。毎日通る道、身近な家族。それらに対して「もう知っている」と考えてしまうと、そこで思考は止まってしまいます。書籍やインターネットの情報を得ることも大切なのですが、情報を得たことで「わかった」と満足してしまうと、頭では「よく考えよう」と思っていても、誰かの思考の焼き直しになってしまってそこから先に進めなくなってしまいます。自分が4歳児になったつもりで考えてみることで、自分が囚われている常識や、誰かから無意識に受け継いでしまったコミュニケーションスタイルに気づくこともしょっちゅうあります。経験を積むたびに、私たちは自分を守るために様々なメガネをかけてきました。そのメガネを外したところに、子どもたちが見つめている世界があります。そこは意外なほどに優しい世界。その気になればいつでも、私たちはその世界にもう一度触れることができるのです。やりたいことがわからなくなったら、旅にでよう生活の中でも感受性を取り戻すことはできますが、もう一つオススメしたいのが「旅」です。旅先では時間も行動範囲も限定されるので「やるべきこと」ではなく「やりたいこと」を自然に選んで動けるようになるんです。例えば2泊3日の小旅行を想像してみましょう。プランは立てないという人でも、目的地が決まったら現地での過ごし方を多少なりとも考えると思います。時間も移動手段も限られている中で、旅先で優先したいことは何かが見えてくるでしょう。 ホテルや旅館など、宿泊施設での時間を快適に過ごしたい人もいれば、とにかく動き回って観光名所を時間の限り、見て回りたい人もいます。私の場合、何の予定もないただの週末だと「やるべきこと」を優先して詰め込み、あっというまに終わってしまうことが多いのですが、旅の間は「やりたいこと」に素直に向き合うことができます。 先日子連れでニューヨークに行ってきたのですが、その時私が最優先にしたのが「ハッピーな思い出をたくさんつくる」ことでした。短い滞在期間の中で、どれだけ息子と一緒に大笑いできるか。いつもと違う環境にどれだけワクワクできるか。そのことだけを考えて現地で過ごしました。個人的にはもっと買い物もしたかったし、ガイドブックに載っているおしゃれなスポットも訪れたかったけど、私と息子の体力を重視して、滞在中はほとんどセントラル・パークとその周辺施設で遊びました。友人には「公園で遊ぶだけなら日本でもできるよ!」と笑われましたが、いいんです。初夏の柔らかい日差しの中で日光浴をしたり、街中にあるビルの消火栓を数えながら歩いてたり、店員さんやホテルのスタッフと会話したり、コインランドリーで洗濯したり……、現地で過ごした時間だけでなく、行き帰りのロングフライトだって私たちにとっては大冒険。多くの発見と、息子の成長を感じられる機会がありました。もちろん国内でも同じような体験はできます。余裕がなくなってくると旅に出る元気が出ないときもありますが、思い切って足を伸ばすことで「これを優先したい」という気持ちが見えてくることもあるのではないでしょうか。自分軸で生きよう!心が乾いてきたな、と気づいたら、それはきっと「自分の軸を見つめ直して」というサインなのだと思います。 結局のところ、自分を幸せにできるのは自分だけ。家族だって他人です。私たちは、自分で自分を幸せにする責任があるんです。その責任や期待を他人に負わせるのは筋違い。日々の生活は「自分が選択したもの」でできています。自分が機嫌良くいられるように自分で周囲の環境を設計するのが、穏やかな暮らしへの一番の近道。「私」は、どういう環境で過ごせると嬉しいんだろう? 「私」は、どんな部屋が落ち着くんだろう? 「私」は、今日何を食べたい? 「私」は、どの服を着たい?以前の私なら、こういうことを考えはじめると家族や息子、仕事の関係者や友人たちの顔を目に浮かべていました。「息子にとって何がベストなのかな」とか「TPOを考えたらこれがベターかな」とか、自分の気持ちを脇にどけてしまいがちでした。でも、自分の気持ちより他人の目線を優先して生きていたら、そりゃあ心も干からびますよね。そしてその「他人の目線」だって、ほとんどが自分で作り出した妄想なわけで。自分の気持ちに正直に生きるには覚悟も必要です。だってうまくいかなくても、他の人のせいにできなくなりますから。でも、人生のいくつかの局面で「自分の幸せを選ぼう」と決めて歩んできたことで、私は今の自分を好きでいることができています。半年に渡って書かせていただいたこの連載も、いよいよ次回は最終回。 「今、そしてこれから」というテーマで書いてみたいと思います。