今年7月から夫の海外転勤に帯同し、中国・上海で暮らしている、くれゆかです。上海在住の日本人女性は、駐在妻だけでなく、現地で永住権取得、などなど実に多様で、自分軸を持って挑戦を続けているパワフルな女性がたくさんいます。今回は、ダンススタジオ「上海舞廊(BLOW)」を主宰するWAKANAさんを取材しました。彼女は現在、2歳の娘さんの子育てをしながら、生徒数約400名(総会員数は延べ1800名)に上る人気スタジオの経営者としてだけでなく、多くの子育て中ママや現地の商店、保育施設などとの地域交流のプロデューサーとしても手腕を発揮しています。そのエネルギッシュで多彩な活動っぷりの裏には、どんな思いがあるのでしょうか。WAKANAさんの考える自分軸について、インタビューしてきました。「これで食べていく」と23歳で決めたダンスの仕事。自ら立ち上げたダンスチームは30歳で解散。ダンス講師歴19年目になるWAKANAさん(写真左から3人目)。16歳からチアリーディングを始め、尚美学園ダンス学科を総代で卒業。ヴォーカル活動、ダンス講師を経て、ダンスチーム舞廊を結成。25歳で単身シドニーへ渡る。数々の舞台出演・振付・制作ののちに、上海舞廊を結成。現地の日本人ファミリーに大人気のダンススタジオ経営者となる。子育て中のママや上海現地の託児園、飲食店や衣料品店などの店舗を巻き込んで、日々、日本人ママ向け情報発信も行う。同じくダンサーの夫とともに、現在2歳になる女の子を、子育て中。―海外で、かつ上海で、ダンススタジオを経営するという選択をしたのは、どのような経緯があったのでしょうか?ダンスの仕事は19歳から始めて、「これで食べていく」と決めたのは23歳の時です。ダンスチームの団体「舞廊(ブロウ)」を旗揚げしました。その頃はとにかく、仲間と踊っているのが楽しかったので、これだけやって生きていきたいと思いました。25歳の時に単身シドニーに渡りました。理由は単純に「楽しそうだから」。シドニーでは、オペラハウスコンサートホールでのイベントディレクター及び出演や、少女刑務所でのダンス講師などの経験を積んできて、やりたいことを全部コンプリートして帰国しました。ひたすら目の前のことをやってきて、やりつくしたら、次はどうしようかなと考えて・・・ふと「アジアに行こう!」という選択肢が浮かんだのです。これも「アジアンフードが好きだから」という直感で。単純すぎでしょう!?(笑) とは言うものの、マジメな理由もありました。実は、舞廊を立ち上げた時点で私は、「30歳になったらチームを解散する」と決めていたんです。というのは、ダンスチームで同世代の女の子たちを率いてきたわけですが、彼氏だの結婚だのいろいろある中、30代になっても仲良しこよしで連むような環境は避けたかった。それで、彼女たちに相談したら、「この先もとにかく続けて結果を残していきたい」ということになって、ケジメとして会社を立ち上げました。 そんな時にたまたま、「タイ(バンコク)と中国(上海)でダンスの仕事をしないか」というオファーがきたのです!「海外に住んでいる家族が現地で盛り上がれるコミュニティとして、男の子はスポーツがあるけれど、女の子はこれといってないから、ぜひダンスでつくってほしい」というお話でした。 それで正直、ビジネスはよくわからないけれども、「コミュニティづくりなら楽しそう!」と思って、猛スピードで発展しているビジネスの街・上海に来ることを選びました。―右も左もわからない上海で、活動を広げていこうと決めたのは、すごい勇気ですよね?そうですね。当初、中国語も全くわからないのに、よく来ちゃったと思いますよ。やりたい事に対しては、いつもノリと勢いがありました。ただし、日本での仕事も沢山あった中、上海に移動してくるには、日本の社員に対しても、ダンス仲間に対しても、大義名分が必要でした。そして、有言実行すること。さらには、それ以上の結果を常に出したいという思いでいました。―具体的にどのように動いていったのですか?まずは、公庫に借りたお金を軍資金として、最初は画用紙を買って「ダンスやりたい人募集!」のチラシを、日本人が来るスーパーに貼ってもらうところから始めました。こんなふうに手探りでのスタートでしたが、周りの意見をなるべく聞かずに、自分で考え感じたことを一つずつ実現していきました。なるべく責任を自分に向けて、何事にも向き合うというやり方でした。要は、自由をコツコツつくっていったようなイメージです。ビジネスも芸術も「自分が生きている世界が変わっていく喜びを体験する場」取材で訪れた日は、発表会を目前に控え、スタジオ内は熱気に包まれていた。WAKANAさんも時にクールに、時にホットに、一人ひとりに丁寧なを指導を行っていく。レッスン終盤では、チームの思いを一丸とさせる声がけで、こどもたちのはじけるような笑顔と躍動感あふれるダンスを生み出していた。―WAKANAさんのこれまでは、「節目節目ですることを決めて進む」歩み方だったのですね。その決断の基準は?「いけそう!」と思うことですかね。直感で。それは間違いなく、自分がワクワクしているときですね。上海でやろうと決断したのも、「ビジネスはわからないからできるか不安」と感じるのではなく、「コミュニティづくり楽しそう!」という気持ちありきだったんです。 だから、ビジネスについては現場そのものが学びでしたね。仕事をやっていく中で、「人を動かすには気持ちがいちばん大事で、人が動いたら経済が変わって、経済が動いたら世界が変わる」というのが見えてきました。 そういう本質的なことは、ビジネスも芸術も一緒だなというのが、これまでやってきてわかったことです。世界が変わるというのは、自分の世界が変わるということです。それは大小限らず、大きな世界平和でも、小さな家族単位でもいいんです。たとえば、舞廊で上海にいる子どもたちの「楽しい!」という気持ちを育めて、楽しみたくて人が集まってくる場所ができたら、上海にいる自分の中の世界が変わる・・・というふうに、「自分が生きている世界が変わっていく喜び」を体験できるのです。―そんなふうに感じられるのは素敵ですね!なかなかやりたいことを決断できずにいる方がいたら、WAKANAさんがお伝えできることは何でしょうか?そうですね。私みたいにやりたいことをひたすらやってこれる人ばかりではないと思います。いろんな事情で心のブロックがかかってしまうこともあるのではないでしょうか。でも、もし何か周囲を気にしてできないことがあるのであれば、「そんなの気にする必要ないよ〜!」と応援してあげたいです。実際、自分が思っているより、そんなに誰も何も気にしていないと思うんですよね・・・。それよりも、自分の気持ちに集中してあげてほしいですね。レッスンの合間に、生徒の保護者からの質問や相談に一人ずつ熱心に応える場面も目撃した。長年ダンス講師としてやってきた経験と、チームリーダーとしての経験、独自のキャリアに挑戦してきた経験をもつWAKANAさんから、ダンス技術だけでなく、様々なことが学べそうだ。超自分中心の人生を歩んでいきたい。お母さんである前に、私(WAKANA)であるから。―ところで、WAKANAさんは現在、2歳のお子さんを育てているお母さんでもあるのですよね。海外に渡った時に、将来の結婚・出産について考えていましたか?結婚・出産については全く考えていませんでした。でも海外に来て、結婚していたほうが便利だなと思ったんです。なぜなら、そのほうが、自分のやりたいことに集中できる気がしていたから・・・。だから、上海に来てまず最初にやったのは、「友達をつくらないこと」でした。そして結局、昔からのダンス仲間と結婚しました。一度離婚をしているのですが、二度目は結婚してすぐに子どもができました。夫は、同じくダンサーで、上海舞廊でも講師を務めています。今日は二人とも夜はレッスンのお仕事・・・。―ご夫婦で夜までお仕事…その間、お子さんはどうしているのですか!?基本はお手伝いさんが見てくれています。あとは、よく友人や生徒の家に泊まりにいきます。だいたいは夫婦交代でローテーション育児をしていますが、周りの生徒のママ達がすごく助けてくれて、お世話になっています。また、生徒達も娘と本当にたくさん遊んでくれるので、娘はとても楽しく面白い毎日を過ごせているようです。出産前後は、いつも生徒の家族がそばにいてくれたので、私自身も悩んだりすることはありませんでした。―今後、どのような人生を歩んで行きたいですか?超自分中心の人生ですね(笑)。いろんな人を巻き込みつつ、お互いに独立してハッピーでいられたらいいなあ・・・というのが理想ですね。子育ても、必要な時には「お母さん」という役職にはなりますが、私自身のあり方のベースは、「子どもも私も一人の人間である」ということ。お互いリスペクトしながら接していきたいなと思います。「お母さん」である前に、私は「WAKANA」であるので。仕事は目の前にあるものを次々と完成させていく、というのが私スタイル。これからも、やりたいことを次々とコンプリートし続けていきたいです!▼WAKANAさんが主宰する上海舞廊(BLOW)の詳細はこちら▼