「あの日の自分と未来の自分が喜ぶ選択」をする |ICU看護師・中原知恵さん

シリーズ連載:自分軸で生きると決めた、わたしたち

「なんとなく育休をなくそう」をテーマに2018年に立ち上がったコミュニティ「MIRAIS」による連載です。バリバリ働いていた中で、突如育休で全てがリセットされたような感覚になり、何をすればいいのかわからぬまま、何となく育休期間を過ごして職場復帰する。そんなモヤモヤ体験を【Molecule(マレキュール)】読者の皆さんも記憶にありませんか。連載のテーマ「自分軸で生きると決めた、わたしたち」では、MIRAISでの活動を通して、育休前後に自分軸を見つけた女性たちが自らの言葉でその変遷を寄稿します。

今回の執筆者

中原知恵さん
中原知恵さん
2人目育休中に、育休コミュニティ(現・MIRAIS)に1期生として参加。フルタイム・夜勤ありのICU看護師をしながら、4歳・1歳の2Boysとの毎日に奮闘中。乳幼児の心肺蘇生セミナー、執筆活動を通し「子どもを守る×親でもワタシらしく」を発信しながら、家族ホームステイや移住計画などパラレルな日々を楽しんでいます。

だって育休だから・・・

2度目の育休から復職して約半年になる。私にとって2度目の育休は、誰かの「こうすべき」しか耳に入らなくなっていたところから私が、「自分軸」を取り戻せた人生のGAP YEARそのものだった。

子育ても2人目となれば、赤ちゃんの世話に戸惑うこともさほどない。授乳の量や夜泣きの回数に不安になって、永遠にGoogle検索する必要もない。まだ2ヶ月の息子はすぐに眠ってしまい、私はたちまち時間を持て余す。1日の中で唯一の約束は上の子の保育園の送迎の時間だけ。

「何をしよう?」と考えるばかりで何もせずに過ぎて行く日が幾日もあった。

家事育児しかしちゃいけない。

だって育休だから。

お出かけだって赤ちゃんのための場所じゃないと。

だって育休だから。

私が楽しいことなんてしたら働いてる人は嫌な気持ちでしょ?

だって育休だから。

我が子の同じような写真を撮っては祖父母に送る。それだけが私に許されるコミュニケーションな気がしていた。

そんな時スマホに浮かび上がってきた夜明けの写真と「なんとなく育休をなくしたい」のフレーズに脊髄反射し、育休コミュニティ参加ボタンを押していた。予感なんてものはなく、皮肉にも「なんとく育休コミュニティ」だったが。

「それ本当に自分がやりたいこと?」

育休コミュニティ(現MIRAIS)の根幹はただ一つ「育休をテーマを持って過ごすこと」だ。テーマを持つことの意味もピンと来ていなかったが、誰かにやるべきことを与えられるのは久しぶりだったので喜んでA4を広げてみた。

その時のテーマはもはや覚えてすらいない。が、それを聞いた、初対面の代表(栗林さん)にバッサリやられた衝撃は忘れられない。

「それ本当に自分がやりたいこと?」

その後の会話は覚えていない。

何日も、「それ本当にやりたいこと?」と幻聴が聞こえた。自分が本当は何がしたいのかさっぱりわからなかった。

出産前は旅が好きで世界一周したこともあったし、夫婦でアメリカ横断もした。友人と飲み食いするのが大好きでパーティーの企画なんかも得意だ。舞台が好きで、月一回は生の舞台を見ていた。でも、どれも子供がいてはできないことに思えた。

子供を持つ前の自分がカラフルに輝いて見えて、急に周りがモノクロに思えた。

何でこんな風になってしまったんだろう?

子供が生まれてからは不安ばかりで、一人目の育休は検索魔だった。子供の人生を背負うなんて責任重大で怖かったが、今頑張れば、良妻賢母になれる気がしていた。

だから、「こうあるべき」を徹底的に調べ、授乳間隔、離乳食、知育、寝かしつけ・・・と次々ストイックにやり抜いた。知らず知らずに良妻賢母の呪縛に囚われていたらしい。そのことに気づいただけでも、テーマを考える意義は私にとって絶大だった。

“べき奴隷解放宣言”

べき奴隷とは言うまでもなくその時の私だ。誰かではなく、自分の声を取り戻す育休にする。これが私の育休のテーマとなった。

全ては過去への執着と未来への不安から

自分の声を取り戻す!と決めたものの、どうしたらいいかさっぱりわからずにいた時、コーチングのクライアント募集があり迷わず手を挙げた。

質問に答える中で「自分ってこんなこと思っていたんだ」と本音がポロポロ出てきて、私のテーマにうってつけの手法だった。中でも、「過去の自分なら今の自分に何と言葉をかけますか?」という質問の威力は絶大だった。

もちろん現在の私が成り代わって語るのだけれど、過去の自分はこう言った。「もう肩の荷を下ろしていいよ。そうしたらもっと楽しくなるよ。」と。

過去は過去でしかなく、過去の経験は現在の自分の足を決して引っ張るものではないと気づくことができた、とても価値ある体験だった。

それから私は本当の意味で、過去に執着せず、素直に理想の未来が描けるなったと思う。何かにモヤモヤしたら、過去の自分と未来の自分に聞いてみる。見えない誰かの「べき」ではなく。

それからは、面白そうだと思えることにはどんどん挑戦した。

セミナー開催、執筆活動、高校での講義、テレビ取材、雑誌インタビュー、翻訳、家族でのアメリカホームステイ・・・。

元来好奇心の塊だった自分が、いかに「母親だから」とブレーキをかけていたのかを痛感するほど、私は水を得た魚のようだった。

母になっても好きなことをやれる。母になっても挑戦できる。そして自分がエイっと踏み出した一歩が誰かの背中も押すかもしれないということ。これらは、とてつもない勇気となった。

我が子の未来が無限であると信じているように、自分の未来も信じてみようと思えた。

未来を生きると決めて日々選択すること

それでも人々の考えは様々だし、忙しさの中で思考停止することもあるだろう。だから、復職前夜自分にいくつかルールを課した。その中の一つに「未来の自分が喜ぶ選択をする」と書かれている。

今も「大臣が育休を取るべきだ、取るべきでない」とニュースで騒がれ、平日夜に外食したと投稿すればSNSが炎上し、家事育児のアウトソーシング議論も世論を二分している。

世間には「べき」「ねばならない」が飛び交っている。

でも少し前には、かまどで炊くご飯が美徳とされたが今炊飯器は市民権を得ているし、手紙の良さはあれどメールを否定的に思う人は少ないだろう。世界は急には変わらないが少しずつ変わって未来になる。

人は変わろうとするものに拒否感を示すが、変わってしまったものには案外寛容だし適応するものだと思う。

育休中に自分と徹底的に向きあったとはいえ、復帰後は日々に忙殺され、いとも簡単に元の自分に引き戻されそうになる。その度、首をブンブン振りながら「大事なことは何か。そのために手放したいものは何か。」世の中の常識ではなく未来の自分に問い続ける毎日だ。

家事はテクノロジーを駆使して簡略化し、時にはアウトソーシングもする。上司にも子供の成長や家庭の状況をこまめに伝え、働き方の微調整を相談している。

夫とは未来の話をよくするようになった。

毎週庭でBBQがしたいねとか、星を見上げて暮らしたいとか、天井の高い家に住みたいなとか色々あったが、老いていく家族との時間ももっと大切にしたい思いから両実家のある北海道へのUターン移住を決めた。家族が過ごす場所と時間の質を高めることを、我が家の最重要テーマとしたのだ。

様々な機会に溢れる東京を離れることに迷いがあった私がこの決断ができたのも、MIRAISの活動で、リモートで学びも挑戦の機会もいくらでも得られると身を以て経験できたからだ。子供がいてもどこで暮らしていても、好奇心に蓋をする必要はない。

「私たちは未来」

これはMIRAIS卒業の日に贈られた言葉だ。忙しさに世界がモノクロに見え始めたら、未来がこうだったらいいと思う選択、未来の自分が喜ぶ選択を重ねて、カラフルな日々を取り戻していきたい。

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