「主」のいない日本でシングルマザーになるということ|夜明けの未婚シングルマザー vol.1

2019年1月に公開し、大きな反響があった記事「子有りをコンテンツ ハッピー未婚シングルマザー見つけました!」でインタビューさせていただいた青柳真紗美さんの連載がスタートします。青柳さんの「わたし」を軸にした生き方、考え方は、シングルマザーだけでなく働く子育て女性の【Molecule(マレキュール)】読者にも通ずるものがたくさんあるはずです。

辛い話を検索するのはもうやめよう

妊娠中、何百回も検索したキーワードがあります。

「未婚_出産」「未婚_シングルマザー」

もしかしたらあなたもこれらのキーワードを検索してこのコラムにたどり着いてくれたのかもしれませんが、もしあなたが私と同じ境遇なら、心が落ち着いたと思える時まで、これらのキーワードでインターネット検索するのはちょっとストップしてください。なぜなら、そうして得られる情報の中に、私は明るい未来を見出せなかったから。

「未婚で子どもを産むなんて無責任だ」「子どもがかわいそう」「税金泥棒」…。

新しいパートナーについてや、再婚なんて口に出そうものなら「女であることを優先してしまったんですね」「子どもが成人するまで待てなかったんですか?」「虐待とか大丈夫ですか?」…。

私は救いを求めて何度も何度もネットサーフィンしたけど、検索すればするほど、気持ちは暗くなるだけでした。ひとり親向けの福祉情報なら、最寄りの行政機関で教えてくれます。どうか、世の中の一部の人の悪意に身を晒さないでください。

一人一人、境遇は違うから「大丈夫だよ」「産んだ方がいいよ」と安易には言えません。一つだけ言えることは、人生の主人公はあなた自身だということ自分の足で幸せを見つけにいくか、不幸に怯えて生きるかは自分で決めることができます。そのことだけは、どうか忘れないで。

そしてできれば、今日限りで、自分を責めるのはもうおしまいにしましょう。あなたは悪くありません。産もうと決めたのなら、どんな経緯があるにせよ「授かった命を育てたい」と純粋に願っただけです。

その選択はあなたに許されたもので、他の誰かに何かを言われる筋合いはないんです。今、暗くて長いトンネルの中にいるなと感じているとしたら。笑顔をつくるのが辛いな、と思っているとしたら。子どもをきちんと愛せるかな、一人前に育てられるかな、と不安に感じているなら。

どうか、親でもなく、パートナーでもなく、我が子でもなく、まずは「あなた自身」にフォーカスして、自分自身の人生を見つめ直してみてください。特定の誰かや自分自身を責めたくなる気持ちを少しだけ脇にどけて、まずは今までの自分を「がんばったね」って抱きしめてあげてください。

ひとりでも産もう、と決意したクリスマスの夜

忘れもしない2014年のクリスマス。あの日、私は一人になりました。彼との最後のやりとりは、電話でした。

…正確には、お腹に一つの命を抱えていたから一人ではありませんでした。でも、電話を切ってiPhoneをベッドにおいた瞬間に訪れた静寂を今でも覚えています。周りはどこもハッピーな年末ムードなのに、私だけ世界から取り残されたような気分で。妊娠がわかる前に快諾していた忘年会の予定が、翌日から連日、分刻みで入っていました。

泣きたいのにうまく泣けない。怒りたいけど誰に怒れば良いかわからない。何より、大好きな人の子どもを授かったことは本当に嬉しくて幸せなのに、幸せだって思って良いのか、本当は幸せじゃないのか……、頭も心も混乱してボロボロでした。

だけど、「この子を産もう」という決意だけはなぜか揺るぎませんでした。

Photo by Kelly Sikkema on Unsplash

そんな一人ぼっちのクリスマスの夜から4年がすぎました。最近3歳半を迎えた息子は、おしゃべりとクルマが大好きな、元気な坊やになりました。日に日に可愛さを増していて、少しの成長も嬉しくて嬉しくて。

私の経験は誰かに自慢できるものでもないし、子育ても仕事も試行錯誤の日々です。でも、情緒不安定だった妊娠中から産後の生活を経て、最近やっと落ち着いて「自分」に向き合えるようになってきました。

はじめにお伝えしておくと、このコラムでは子育て論には一切触れないつもりです。そうではなく「私がどうやって自分の人生を取り戻してきたか」について振り返ろうと思います。眠れないまま、夜明けを待つあなたに。そして眠れないまま、夜明けを迎えていたかつての私に。みんなの背中を撫でるつもりでこのコラムを「夜明けの未婚シングルマザー」と題しました。

今回は、初回だけど(だからこそ)絶対に伝えたいことを。それは「支えを必要とすることは弱さではない」ということです。

アメリカのシンママインスタは「主(him)」で溢れてる

臨月に入った頃にインスタで「#singlemother」「#singlemom」などのハッシュタグをフォローしました。そうしたら、面白いことが起きました。ものすごくポジティブで綺麗な女の人たちの自撮り写真がタイムラインを埋め尽くし、前向きな言葉が流れてきたんです。
日々の悩みを一瞬忘れるほどに、エネルギッシュで適当な投稿が溢れていました。

▽青柳さんが見ていたインスタ投稿 は、こちら

例えば、「見てこのお尻! 3ヶ月でこんなにセクシーになったわ! アイラインも完璧に描けた朝! 働くわよ!Yaay!!」みたいな、身も心も大きい彼女。はたまた、キドニービーンズに謎のシーズニングをぶち込んでフライパンで混ぜて、チーズを大量に投入して(多分これ、悪魔的な美味しさだと思う)「今日はパーティよ!!! でもベビーにはちょっとまだ早いからママが全部食べまーす!」と、はしゃいでいる彼女。

だけど中でも「アメリカっぽいなぁ」と思ったのは、Himの存在でした。キリスト教で「Him」といえば、イエス=キリストを意味します。アカウントによって頻度は異なるけど、彼女たちはことあるごとに「私たちは一人で子育てしてるんじゃない! いつでも彼(Him)がそばにいる!」と自分たちを鼓舞していました。

この投稿の意味に気づいた時、正直言って羨ましかったのを覚えています。「パートナーがいなくても、ひとりじゃないと思えるってすごいな」と。もちろん信仰心には差があるだろうし、結婚観も違います。彼女たちが本音の部分でどう思っているかはわかりません。

だけど、「私はひとりじゃない」と言えるシングルマザーが、日本にどれだけいるでしょう?

親や友達、新しいパートナー……いろんな人が周りにいても「ひとりで子育てをしている孤独感」は多かれ少なかれ持ってるんじゃないでしょうか。

誰かに支えてもらうことは「弱さ」ではない

産後、メンタルも体もボロボロだった私が自分の人生を受け入れて前を向くための第一歩は、「手伝って欲しい」「助けてほしい」と周囲に伝えるところからだったと思います。大きなものに立ち向かう時に支えが欲しくなるのは、人として自然な反応です。

もちろん、いきすぎて依存状態になってしまうのは健全ではないけれど、支えてくれる相手、もっと言えば「支え合える相手」が自分にもいるんだと再発見することは、私にとっては自分を取り戻す大きな一歩でした。

ここで邪魔してきたのが、間違った責任感。「私が決めたんだから、弱音なんか吐いちゃダメだ、きちんと育てなければ」「子どもを欲しがったのは自分なんだから、誰かに頼ろうとするなんて甘えている」という感覚。

出産するまで、この感覚を、私はものすごく強く持っていました。どこかで「この子を自分一人で育てられることを証明しなきゃいけない」と勝手に思い込んでいたんですね。今思えば「何と戦っていたんだろう…」というかんじですが。

子どもを産む前の自分を振り返ると、自分でも嫌になるくらい見栄とプライドの塊でした。周囲と比較してばかりで、弱みを見せるのはいつだって怖くて仕方ありませんでした。だけどいつもどこかでビクビクしていました。「本当は何者でもない自分」を見透かされるのが怖くて、そんな自分に呆れられるのが怖くて。

そんな私を変えたのはやはり、息子の存在でした。生まれたばかりの息子の寝顔を見ながら、「この子には、ありのままの自分を受け入れてくれる場所を見つけて幸せに生きて欲しい」と心から思いました。

でも、それならまず親である私が「誰かと支え合うこと」「助け合って生きること」「優しさに感謝して素直に受け取ること」をできるようにならなきゃいけないな、と。私の場合は、産後3日目に助産師さんに「なんだかすごくしんどいです…」とナースコールをするところから始まりました。

次の朝、母に「頭を撫でて欲しい」と言いました。父に「ポカリスエットを買ってきて欲しい」と言いました。職場復帰してから一緒に働く仲間に「私の良いところを教えて欲しい」とお願いしました。

人によって感じ方は違うかもしれませんが、これら全て、私にとってはすごくハードルが高いことでした。でも、勇気を出して言ってみたら拍子抜けするくらい、みんな笑顔で受け入れてくれた。そこから、少しずついろんな人に力を貸してもらって今に至ります。

小さなことで良いんです。「助けて」と言えたとき。

そしてそれを周囲が温かく受け取ってくれたときに、生きていく上で誰かに支えてもらうことは「弱さ」でも「甘え」でもない。むしろそれは「強み」になるんだと気づかされました。次回は、「出産前夜の産院で考えていたこと」をお届けします。

▽青柳真紗美さんのインタビュー記事はこちら